240212_日本における住宅の設計

一昔前の日本における住宅設計においては、夏の環境を考慮せよと言われてきた。

昨今の設計では高気密や高断熱など建物の寿命を差し置いて人間の快適さを求める傾向にある。

勿論、独りよがりな快適さを求めるためには、高気密、高断熱の家を作ることによって一次消費エネルギーは少なくなるのだろう。それは人間から見れば「地球に良い事」である。

しかし、この高温多湿の受容的風土の日本ではどうだろう?改めて先人たちがなぜ夏の環境を優先し、家を建ててきたのか考えてみるべきではと思ったのである。

まず第一に言える事は、日本における木造建築寿命においては、夏の通気はとても大事なものだといえる事である。他の建築材料とは違い木材は呼吸する事で長寿命の材料となる。多少の雨濡れも乾いてしまえば強度的に全く問題ない。蟻害や虫害も防ぎ易い。

次に言える事は、その通気からもたらされる形態や細部である。これは西洋の近代建築家にも多大な影響を与えるほど合理性や単純性をもっている。それらに有機的な緑が論理的な意図をもって加わる事で日本独自の建築感が生まれていたのである。

最後に格心的要因になるが、なぜ日本建築において夏の環境を重要視してきたのか?それは日本における冬の環境は命には関わらないからでないだろうか。

高温多湿の日本においては、暑い時期が雨季で寒い次期が乾季に相当するからである。夏の湿度が高いために体温が下がり難く熱中症などの死亡事故に繋がりやすいのである。それは湿度が関係するが故、たとえ家の中にいても防ぎ難いのである。

一方日本の冬の気温はせいぜいマイナス数度である。(一部地域は除く)雨風凌げる家の中にいれば命を奪われることはほぼ無い。

この事から分かるのは、現代日本は「求めすぎ」なのである。家に対して。それは戦後日本のマイホームブームやそれ以前のお家制度のなごりなのかもしれないが、その時代の人々は人の快適さよりも家の長持ちを考え、「夏の環境を優先する」と言っていたのではないか。

昨今の省エネ風潮もわからなくはないが、そうやって物に甘えるばかりではなく、自分の感覚を改めて考え直してみてはどうかと強く思っている。

心頭滅却すれば火もまた涼し。

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