230210_日本人の好み
日本人の多くはシンプルな物が好きだ。他の国と比べてだが。
その理由は国民性にもあるように思う。日本の気候からくる風土的な国民性。言い換えると和辻的な風土からくるのだろう。
日本の古い建物の多くは素材の持つ表情を組み合わせて空間が出来ているが、西洋の古い建物は素材に装飾を施し空間を作っている。
簡単に言うと、出来てくるもの、と、作っているもの、の違いがある。
それは先程述べた和辻的な風土による部分もあると思うが、それぞれの空間の規模も関係している。
勿論日本は小さく、西洋は大きい。その大きさの違いがテクスチャやディテールの捉え方、ひいては装飾の少多に繋がっているのだろう。日本の建物は所謂目が近いものと言える。
小さい空間では細かいテクスチャに目が行くし、大きな空間ではもっと大きなテクスチャに目がいきやすい。言い換えると小さい方が素材の美しさに気が付きやすい。
日本では素材が本来持つ美しさに古くから着目し、その文化を育んできた。一方西洋では古くから素材を造形し、その文化を育んでいる。情報化が発展し、均質になりつつある現代では、改めて各国固有のものに再度焦点が当てられつつあるように思う。
結局人間というものは自分のものではない文化に憧れるのだろう。それは子孫を繁栄させるために持ち得た本能ともいえる。自分にないものを求め多様性を構築する的な。
これが今まで、海外で日本が評価されている理由で、日本が欧米に憧れる理由でもある。
これまでの日本は欧米を模倣し、後を追うだけで良かった。しかし世界が情報化するにつれ段々とその綻びが表出しだし、文化的に成熟してきた建築はその次のフェーズに移行しつつある。
すなわち世界は土着的な物を取り戻そうとしている。その気運がある国は、近代化による均質化が行き渡った証拠であるが…それの気運は自然環境の変化によるところも大きいだろう。
結局持続可能性というものを考えたときに一番合うものは土着的なものである。日本の昔の住居がなぜ夏の住環境をベースに作られているのか。それは風通しの良い家が長持ちするからである。
そんなことを100年前にすでに考えていた藤井厚二は天才であるとあらためて思う。
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