240207_ことばのはなし

子供が生まれてから、汚い言葉や罵る言葉、ネガティヴな言葉は出来るだけ使わないようにしている。よく思い出してみれば、それより前から使わないようにしていたかもしれない。

「言葉を話す」とい行為は形がなく、目に見えないがそこにいる不特定多数の人に影響を与えうる行為である。文章は形としてあるが、影響を限定出来る行為だ。

昨今のSNS事情はまた違うが…あれは言葉と文章の中間に位置するものかもしれない。後記する意味においては。

なぜ自分が汚い言葉を使わなくなったか。それは、陰陽師系の小説を読む様になってからだ。

呪というものは元来口にだしてから初めて効果を発揮する。それ故に「口は災いの元」などと言われ恐れられてきた。(口辺もついてるし!)
また神様に対するお唱えや仏様に対するお経なども口に出して初めてご利益があるものだと言えるだろう。

神社などで手水をつかい口を清めるのは、口(言葉を話す)は不浄なものとされてきたからだ。

先程後記するといった部分だが、言葉と文章の本質的に違う部分である。言葉を話すという行為が本能から本能につたえる行為なのにたいして、文章は理性で書いて理性で受け取るものだからだ。

全ての言葉、文章がそうだとも限らないが、大半は当てはまるのではないだろうか?日常の会話で考えてから喋ることは少ない。それが対人面の苦労とも言える。

言葉→文字という成り立ちからも分かるように、言葉を話すという行為は人間にとってより本能的な部分である。

それ故に無意識の内に、人の心理部分に影響を与えるのだ。昔からある呪いというのはそう言う事なのではないかと考えている。

政治家や詐欺師はよく饒舌に演説するが、いまいち信用できないないのは文章をのこさないからかもしれない…


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