230323_未知と思考、補完

人は動物であるが理性という人間特有の部分がある。本能や感覚で理解している事も多いが、嗜好や芸術の部分になると五感で感じたものを理性で補完するある意味第六感いや5.5感と言えるかもしれない。

例えば初めて食す料理を食べた時、必要な栄養素が揃っていればこれは美味い!と感じる。それを繰り返し繰り返し食しているとその構成要素にあきてくる。
今までの記憶を頼りに、あれが食べたいこれが食べたいと考えだす。
その過程を経て自分の好みというものが決まってくるのだが、そこからさらに踏み込んでいくと、分析という行為が発生する。それは普段と同じなかにも、このコーヒーは美味い!→普段よりクリアだ!とか、このカレー美味い!→普段より酸味が効いている!といった今までに感じた事のない感覚を追い求めるようになる。そこに作り手に対する共感が生まれる。

感覚を思考で補完すると言う事だ。それは新しい感覚を追い求める行為とも言えるだろう。

そしてさらにその先に行くと、自然とそれを作りたいと思うようになる。自ずから然る。

先程述べたように、自ら作る行為には前提としてある程度の経験、知識が必要となる。

みんなが、経験する食に関しては経験、知識を得ていくハードルが低いし、普段の生活の中にない絵画や彫刻は知見を得るハードルが高い。即ちとっつきにくいと言える。

自分で作る行為をしだすと、自らの感性を更新しようと言う理性が働きだす。その作る行為から出てくる個性はの更新性の多寡による所が大きいように思う。

その更新によって人間は文化を発展させてきたのだ。それはスパイラル状に新たな共感を呼びまた更新させていく。

誰でも趣味嗜好は持っているわけで、その分野においては誰にでも当てはまる事だと考えている。

自分が聴いたことのない音楽や、見たことのない建築、食べたことのない味を追い求める理由が少し分かった気がする。

今まで述べた事は好奇心とは別の感情から来ているように思う。好奇心とはどちらかというと技術、深化に関わってくるものだからだ。不思議なものを見た時にどう言う仕組みや過程を経て成り立っているのか知りたい。その感情が好奇心である。エンジニアリングに関わる部分かな?


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