230112_情

3つめの信念は情を大事にすることだ。田舎の閉塞的な集まりを好む地域に育ってきたので情を大事にすると言う考え方はある種当たり前の感覚で育ってきた。社会人になってからも田舎の商習慣にならってきたので当然にそういう感覚がある。

ずっと若い時、今でも1番くらい仲の良い友達に、何で他の地域の友達と仲良くしないのか?と聴いた事があった。その友達は、それは同じ地元の奴とはずっと長い時間を過ごしてきたからだ。と言っていた。

その言葉を聴いたときに、それが情というものか。と妙に納得して依頼自分の信念のひとつとしている。

情を大事にすると言うことは、共に過ごしてきた時間を大切にすることだ。人間関係からその価値観を学んだ。

時間という概念はとにかく自分の中で大事だ。人との付き合いもそうだし、自分より長い時間を生きてきた人の意見は立場関係なく尊重したい。もちろん自分より青い意見も取り入れたい。八方美人!

この考え方は物にも置き換える事ができる。むしろ逆にプロとして仕事をしていると、人との情は守らない方が良い結果になったのでは?と思う事もある。人情と仕事に関してはもっと良い付き合いを模索しなければならない。

物への情、情のわく物、要はそういった物を創りたいという願望である。

それらの情の物はすなわち長い時間を共に過ごせる物だ。長く使おうと思うと装飾は不要だと思っている。
服に例えると、装飾やブランドロゴの大きく入った服、流行りの色味やシルエットで選んだ服など着れて数年である。数十年するとまた流行りが巡ってくるもしれないが、数十年着てない服を数十年後の自分が着てもまずしっくりこない。そこに情が育ってないからだ。

やはり自分と同じ時を重ねらる物とは、シンプルな物やプレーンな物、等身大の物だろう。装飾は不要だ。自分の価値観を信じて、流行りは追わないと言う事も要素のひとつだろう。

そう言った意味では、モダニズムがもたらしたシンプルな様式が市民権を得て、今だに根強く世界に残っている事も納得ができる。しかし、我々がこれから目指すべき物は均一性や合理性ではなく、多様性と個性だ。これが近代建築と現代建築の歴然たる違いだろう。あるいは、産業化と情報化社会の違いだ。

長く時を重ね、情を育める物。柱の背比べのしるしや、家族のなかで自分しか気付いてない天井のシミ、手垢のついた桧の柱など、色々な物語を内包する物と人との間が、良い空間、と呼ばれ長く愛される建築となるのだろう。

公共建築や商業建築など不特定多数の人間が使う物には、そこに少しだけ文化的なメッセージを足せば良い。

自分にとって情とは理想である。




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