230220_天災人災

先日トルコで悲惨な地震が起こった。多数の犠牲者がでた事が連日報道されていた。

そんな悲惨な報道をみている内になにか腑に落ちない部分を感じていて、次の日に新聞を読んでいたら、これは人災だ、との記事が出ていた。

トルコの地震では多数の人が瓦礫の下敷きにになり亡くなっていることが判明し、それまでの建築構造に対するずさんな対応が批判されていた。

確かに自然災害により亡くなることは、この地球上に生きていくうえで、覚悟しておかなければならない事実。勿論そうならないための啓発は大変重要だ。それは古代から続けられている。

しかし、そこに人的な要因がからんでくると言う事は自然災害とは言い難くなってくるのではないだろうか。

建物の倒壊で犠牲になる命。これはハッキリ言って人災だ。天災との大きな違いは人工物が致命傷にあたること。

これは長い人類の歴史なかにおいて避けられる事象ではないだろうか。ある意味その為にあるべき、建築の文化的発展、が機能していないともいえると思う。

これは建築に携わる人間全ての人に課された使命であると改めて考えさせられた。人類が未だ掘立小屋にすんでいたら起きなかった災害だ。これは由々しき事態ではないか。

なぜこんなにも発展したと言われる文化のなかでそんな事が起きているのか、建築に携わる人が、発注者を含めて誠実さにかけるからではないのか。

富や名声を追い求める余り命を危険に晒しては本末転倒である。災害があった時には全ての人が心に刻まなければならない貴重な教訓を無駄にしないために。

トルコ、シリアの人々に少しでも早くいつも通りの日常が訪れますように。また亡くなった人たちのためにもこの教訓を少しでも活かせるように。

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