#サンフランシスコ
善意の提案がしやすい場所づくりに加担したい
サンフランシスコという街で暮らしてみて実感したこと。
「私、許されてるんだなあ。」
この私の感情は、大切な体験のひとつだ。
サンフランシスコは、多様性に対する器が大きい。知人曰く、ニューヨークなどとは気質が大きくちがうそうだ。
英語が拙い自分が飲食店などで店員の前でモタモタしようものなら、「このクソジャップ」などと吐かれる(しかも私の回りにいる人にも、わかるような口調で)のではないか...
自分の心をつくるのは人の愛だけじゃない。お金、部屋の鍵、パスポート、iPhoneだ。
アパートの鍵をどこかでなくしてしまった。
鍵をジムに忘れてしまうというポカミスを先日やらかしてしまったのだが、該当する箇所にはないし、管理人室に問い合わせてもないしで現在も見つからず。ジムの習慣があったからこそ成り立っていた英語の勉強の習慣もなくなり、体のコリもずっと残ったままでここのところウズウズしている。2つの習慣が消えてなくなり、かすかに芽生えた自信のようなものも鍵とともにごっそり抜かれて
日本に帰ったら読みたい小説
なるべく身軽に動けるようにと、サンフランシスコには最小限の持ち物だけを持ってきたのだけれど、選定をどうすべきかと考えあぐねた持ち物は本だった。
結局、知り合いにオススメされた専門書と文庫本、観光用のガイドブック数冊を持ってきたのだけれど、このチョイスは理屈として間違ってないのだけれど(知人に勧められた本はなるべく早くチャットで感想を言いたいと思ったし)、もっと自分にとって大切な本を持って来ればよ
自己主張の強い食べ物にかこまれて変わった、Instagram体験
スーパーには美しい色の野菜や鮮やかなベリー系の果物が、ドラゴンフルーツのような南国調のフルーツがごろんごろりんと積み上げられている。
ズッキーニの大小はとても極端だし、きゅうりは極太、おナスは賀茂茄子みたいなまんまるなものもある。ベビーリーフはいろんな種類のパックを個別にチョイスすることができたり、料理用ハーブもブーケを作るようにひと束ひと束手に取ることができる。ほうれんそうはこぶりで若い状態の