社会課題を経験していない僕は、どうやったら“叫び”に気づけるだろうか。
実体験のない“悩み”を
僕は気づけているのだろうか。
今日思ったことがある。
それはみんなが“発信”できる時代になり、
各々が抱えている“課題意識”を
“共有”できるようになったこと。
そのことにより
以前までは“普通”と呼ばれていた
マジョリティーたちが
“多様性”という言葉を受容しだし
マイノリティーの人たちの声にも
耳を貸そうという運動が起こるようになった。
そうなると
課題意識を持ったの人たちも必死に
自分の原体験や経験をもとに
“こういう人間”もいるのだと
“主張”してくれるようになった。
その人には
とても勇気のいることだと思うし
自分を主張するのは
ただでさえ難しいことなのに
必死に社会に語りかけてくれる人を見てると
なんだか“自分”がもどかしくなってくる。
しかし、
社会には
まだまだ届いていない“声”(叫び)
がある。
それらに必死に“気づきたい”と思っていたとしても
それら全てを“解決”できる訳ではない。
僕にはどうやら“社会課題”を
全て解決するだけの
“力”と“時間”がないようだ。
このことを踏まえた上で
“誰もが発信できる時代”を考えていきたいと思う。
今私たちが生きているのは
誰もが発信できる時代
すなわち、
誰もが“原体験”を話し
各々の社会課題に向かって
“共感”を得られる時代に“突入”しているのだ。
日々誰かが“必死”に声を上げ
日々誰かが“必死”に“共感”している。
だが、
“時代”は
“社会”は
どうやら簡単には“変わらない”らしい。
大勢の人が
必死に共感しても、
何人の人が一週間後もその“共感”を
保ち続けられるだろうか。
それでも“発信者”はおそらく走り続ける。
各々の課題に向かって。
そして走り続ける度に
“共感”する人が出てくる。
今の僕は、
いや僕たちは、
“共感”を消費している。
自分の“発信”に
夢中になりすぎて他人の“叫び声”をないがしろ
にしているではないか。
消費なんかしたくないのに
“僕”にはみんなの叫び声を拾えるほど
“力”がない。
僕は、なんのために“力”がほしいと言われたら
こう答えるだろう。
もっと多くの人の“叫び”に気づけるように
“力”がほしい。
もっと多くの人を“守れる”ように
“力”がほしい。
原体験がないから
関係がないから
その人のこと知らないから
そんなこと関係ないから。
だから僕は、
声を聞くんだ。
森本瑛.
参考にさせてもらったのは、
高校生でありながら“必死”に自分の言葉で
叫び声を届けている方です。
2万スキ💙を獲得している素晴らしい文章なので
ぜひご覧ください。
ちょろっと自分のも。笑
ではまた❗️
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