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母というひと-004
躊躇があったにせよ、乳飲み子がいては満足に稼げない。
祖母は、娘を里子(養子)に出す手はずを整えた。
少し心に引っかかるのは、
病床にあった祖父が、早産で生まれた娘を視てもらった占い師の言葉。
『この子は金の棒(金運)をくわえてる。手放したらいかん』
とはいえ、死にゆく祖父は一銭も現金を残していない。
祖母には選択の余地などなかった。
昔は今よりも戸籍の管理が甘かったと聞く。
養子に出すときは
母というひと-005
ここで少し、母の苗字の話を。
祖父は稼ぎ手としては有能だった。
しかし、夫、そして父親としては最悪だった。
稼いだ金はほとんど一人で飲んで食って
女郎屋に入り浸って
新興宗教に言われるままつぎ込んで
家族の暮らしのために使おうという考えはまるでなかった。
子供がわがままを言えばすぐ買ってやる甘やかしはしても
貯金はしない、家も買わない、妻に余計な金は渡さない。
くわえて酒癖が悪く、酔うと暴れ
母というひと-006
祖父は倒れてほどなく、事切れた。
そもそも祖父の家は宮崎の延岡城に勤めていた船大工の棟梁一家で
先代が延岡城の家老の一人娘と恋仲になって駆け落ちしたらしい。
駆け落ちとはいえ侍女をつけてきた娘は
自分が産んだ子供たちに対して
「鼻水が汚い、体が臭い」と抱っこも嫌がるので
祖父ら子供たちは全員、侍女に育てられたとか。
それがどう影響したか、兄弟姉妹で互いに助け合おうというような情は皆無だったよう
母というひと-007
祖母から「遊びに行こうね」と誘われた母は
疑いもなく付いて行く。
矢田家へ着き
遠出で疲れた娘がウトウトと眠ってしまったところで
祖母は黙って去ったらしい。
置き去りだ。
初めて連れて行かれた家で、目が覚めると親がいなくなっている。
その恐怖はどれほどだったろう?
母は大泣きしながら家中を探して回る。
でもどこにも母親はいない。
それどころか、周りは見知らぬ他人ばかり。
もともと赤ちゃんの頃か
母というひと-008
迎えに来た母親の袖を
母は小さな手で掴んで離さなかったという。
トイレに行くのにも絶対に手を離さない娘の姿は祖母の心を痛めた。
戦争はほどなく終わったが、矢田家の消息を無理に探すこともせず
他の家へ養子に出すこともせず
そのまま、手元で育てることにした。
しかし現代とは世情が違う。
子供を何人も抱えて片親しかいない家庭も珍しくない戦後の混乱期。
児童手当も、生活保護もなく
祖母は一番確実に稼げる
母というひと-009
祖父の口癖は「宵越しの銭は持たない」だったと聞く。
稼いだ多額の金を自分の遊興費には惜しみなく使い切り
家庭を守るためにはほとんど使わなかった。
そのせいで残された祖母たちは持ち家もなく
祖父が死んで家賃を払えなくなるとすぐに借家を追い出され
長屋の小さな部屋に移り住んだ。
祖母不在の間には
祖母の2人の弟たちが時々は様子を見に来ていたらしい。
昔は優しかったらしいが
戦争へ行き
陸軍の将校へ