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「弾に当たると、痛い。そして無惨に死ぬ。」---その当たり前を、どれだけ”リアルに”感じられるか?

ウクライナへのロシアの軍事侵攻から4ヶ月。自分の周りでも、日々の人々の反応が、なんだか少しずつ変わってきたと感じるのは気のせいだろうか。

最初は純粋に、いきなり他国をあそこまで露骨に武力侵略することがあるのか、という衝撃、恐怖、怒り、祈り、そして何ができるかを考えていたのが、時間が経つにつれ関心が薄まり、「いや、ウクライナもそもそも・・」「NATOはそもそも・・」「アメリカだって・・・」など評論する人が増えている気がする。

しかも、それを真剣に訴えるよりも、どこか“斜に構えて”、「じゃあ、アメリカのやってることは〜だとでも言うんでしょうかね(笑)」「世界は欧米が仕切っているわけじゃないことが露呈しましたな(笑)」的な、そう、まさに「(笑)」がついたような、にやけた感じで皮肉めいた言い方をする人が増えている気がするのだ。

また、ウクライナ支援を表明している人にしても、青と黄色の国旗の色を、どこかファッション的に使っているのでは、と感じることも増えている。

まず、大前提。それは、言論の自由。
どのような感想を持っても自由で、自由闊達に議論すればいい。ウクライナ情勢についてもタブーはないと思う。

ただ、戦場の現実=「弾が当たれば、痛いし、死ぬ。しかも無惨に。」という当たり前のことだけは、忘れないようにしたいと思うのだった。どんな冷静な議論をする時でも、その基本だけは忘れないように。実際我々のほとんどがそんな経験はないわけだけれど、せめて想像だけでもしたい。

これは、感傷的な理想論でもなんでもない。毎日ウクライナだけでなく、我々が忘れてしまっている世界中の紛争地で、多くの人の身に起きていることだからだ。この感覚を持つことと、冷静に分析することは両立するはず。

下の写真は、ロシア極東のサハリン(樺太)の北緯50度線近くで見た、旧日本軍のものと思われる薬きょうだ。

サハリン北緯50度戦付近の激戦地跡で AJ撮影


戦前まで、この50度線の北がソ連領、南が日本領(南樺太)だった。南下してきたソ連軍との間で大激戦になったこの山奥からは、いまだに薬きょうや、手榴弾などの武器、兵士の遺骨や遺留品が見つかる。
(この話は、”サハリン・スケッチ”でいつか取り上げたい。ただ、ロシアへの批判として取り上げたわけではないことをご理解ください)

サハリン北緯50度線付近の激戦地跡で AJ撮影


何年か前の夏、酷暑で滝のような汗をかきながら、この旧国境地帯の山中を、アブや蜂の攻撃をかわしながら、道なき道を何時間も進んだ末に見た、激戦の痕跡。実際に薬きょうを見たとたん、自分がタイムスリップしたような感覚に陥った。

AJ撮影


この山奥で、いきなり木の影から敵兵が出てきて撃ち合いになり、横で仲間が倒れる。自分の撃つ弾は敵兵にもあたり、敵がホラー映画のような形相で倒れる。しかし、自分の身体にも、”この”弾丸が突き刺さる。そして・・・

まさにその当時の兵士が放り込まれた状況を、勝手な想像ながらも、擬似体験した。あの時の恐ろしい感覚は、いまでもはっきりと覚えていて、しばらくは、夜夢に出てうなされることもあった。


戦場の”リアル”な感覚を想像する。


戦車の大砲の先には誰がいて、何が起こるのか。
こんなものが自分の街に今入って来て、大砲をぶっ放して来たら・・・

アフガニスタンに捨てられた旧ソ連軍の戦車  AJ撮影

そして、戦争が終わっても、地雷は残る。

今でも世界中で、ただ草むらに入っただけの子供たちの手足を吹き飛ばしている。

アフガニスタンの地雷原。石に色をつけて警告している。 AJ撮影 


やはり、このテーマ。
わたしには「(笑)」は、付けられない。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ






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