「暗〜い奴ら」と戦っている、全ての人たちへ
今、仕事で、「暗〜い奴ら」と戦っている。「熱戦」ではなく、「冷戦」だけど。
「暗〜い」と言っても、別に口数が少なくて内向的なわけじゃない。教養溢れんばかりの美しい言葉をスラスラと述べたりする。また、いつも愚痴や文句ばかり言っているわけじゃない。むしろネガティブワードどころか、人を褒め称える歯の浮くような言葉ばかり出てきたりする。
しかし、「暗〜い」のだ。
まず、彼らの顔をよく見ていると、目が笑っていない。しかし、それは心底悪い奴らの顔じゃない。いや、「顔」がない。というより、表情を自ら押し殺して「顔」を隠しているように見える。
しかし、ずっと押し黙っている子羊なわけではない。自分を押し”殺す”だけではなく、奴らは数を成し、ポジティブに新しいものを創出しようとする人を、時に「殺す」。顔を出していないが故に、その罪悪感は薄いのだろうか。
そして、その顔のない羊の中には、真の意地悪がいて羊たちを操っている。でも真の悪人かというと、そうでもない。ただ、自らの「臆病さ」を、権力を盾に隠し、「明るい(発想の)」人に、時に冤罪を着せる攻撃まで行うことによって、覆い隠そうとする。性根の捻じ曲がった人たちなだけのようだ。そして彼らは「類は友を呼んで」小さな権力を形成する。
あなたは、そういう環境に身を置いたことがあるだろうか。あったとしたら、その時どういうスタンスを取ったのだろう?苦しんだことはあっただろうか?
この正体不明の集団的な「暗さ」は、とかく「権力」と親和性があることが多い。多くの人は(ほとんどの場合は大したこともない)権力の前に恐れをなして、自分の「顔」を隠してしまう。
そのくせ、権力側が設定した「内敵」には、たとえ心の中ではシンパシーを抱いていたとしても、自分の「顔」を出してない気軽さから、精神的な「集団リンチ」に参加する。そして、自らに言い聞かせる--自分は「顔」は出していない。それに、リンチにかけられた人は、間違ったことをしたと言われているのだから仕方がない。自分は組織の歯車にすぎず、一生懸命やっているだけだ、と。しかし、心の中の罪悪感やモヤモヤは消え去ることはない。だからこそ、その後も「顔」を隠し続ける。
ポジティブに新しいことを創出し、自分の間違いは間違いと認めて反省することができ、上下関係には親密感やリスペクトが伴うことがあっても、地位や年齢の上下だけで真実を曲げたり、盲従することはせず、そして、「恐怖」ではなく「徳」によってグループをまとめようとする人。羊たちを操る意地悪な人たちは、そんな人間が怖くて仕方がないようだ。だからこそ、そういう”むかつく”人間を抹殺しようとする。
そんな感じの人たちに、理不尽な目に遭わされて苦しんだことがあった方はいらっしゃるだろうか。いらっしゃれば、ぜひ、私と一緒に、凛としてやっていきましょう!
ただ、私もこんな強気でいても、ものすごい不安に襲われることがある。やはり少数派は常に辛い。しかし、本当に少数派だろうか。実はサイレントマジョリティーがすごく多い可能性があるのだ。
先日、後輩からメッセージをもらった。「AJさんが戦ってくれていることが、とても嬉しい。力は限られているけれど、一緒に面白い仕事ができて、AJさんがこんなことに無駄な時間を使わなくてもよいように、何らかのアシストがしたい」と。スマホを見ながら、涙がじわじわと湧き出てきた。この人は、勇気を振り絞って、言葉を絞り出してくれた。
味方は確実にいる。一人の戦いではないのだ!謙虚さはもちろん持ち合わせながら、堂々と行こう!そして、良い仕事をしよう!
最後に、中国語の勉強。
文中の「顔」がなく、仕方なく愛想笑いをしている人たち。中国語で言うならば・・・
・・・だろうか。顔の「皮」は笑っているが、中の「肉」が笑っていない、と。
私もアラフィフで、90代まで運良く生きられたとしても、もう完全にゴールの方が近いわけだ。そんな時に、次の3択から選ばなければならないとしたら・・・
私には②以外の選択肢はない。皆さんはどうだろうか。
シニアに向かう今。「皮」も「肉」も「心」も、くしゃくしゃにして笑える日々がいいなあ。きっとそういう人の周りには、仲間が集まる。
そして、門戸は、「顔」を消している人にも、さらに、羊たちを操る意地悪な人たちにも開けておこう。彼らのプレッシャーがなくなった時に、遅れて「仲間に入れてくれ」と言ってくるかもしれないから。
Take off your masks, and join us!!
楽観的すぎ? とりあえずは、それで、いいのだ。もちろん防衛力と外交力は磨いておきながら。
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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました!
AJ 😃