見出し画像

日本で中国人に「中国の印象はどうですか?」と聞かれたら・・・

新大久保の散策は面白い。

かつては、といっても、自分が青春時代の頃だが、新大久保=韓国人街だった。今では駅の西側は中国人、そのもっと西はネパール人、北側はムスリムが集まっているようだ。そして最近はベトナムの店の増加が顕著。アジア各国の食を味わい、珍しい食材も買い揃えることができる。ちょっと怪しさもありながら、こんなにエネルギッシュな街もないと思う。

その日、中国系スーパーで食材を買った。店員も客も中国人がほとんど。レジでも普通に「要袋子吗?(yào dàizi ma=ヤオ・ダイズ・マ?=袋要りますか?」と中国語で聞かれる。

そして、中国語で何気ない会話を交わした際に、相手が話すスピードが速すぎて聴き取れない言葉があった。聞き直した時に日本人とわかったみたいで、「えっ中国に住んでいたんですか?」中国語どこで勉強したんですか?」と、笑顔で質問攻めにあった。ここまでは、よくあるのだが・・

その次の一言が、とても意外で驚いた。

中国的 ”印象” 怎么样?
zhōngguó de yìnxiàng zénme yàng
=ジョングオダ・インシアン・ゼンマヤン?
=中国の印象は如何ですか?

なぜ意外だったか?

普段中国の人の口からは、あまり「中国の印象はどうですか?」と聞かれたことはないからだ。「中国は好きですか?」は聞かれることはあっても、「印象はどうか」と尋ねられた覚えがない。

しかもここは、日本。日本で「中国の印象はどうですか」と日本人に聞く理由は何だろう。

「中国の人は・・」と一括りにするのは、いつもの私のポリシーに反するが、どちらかといえば、外国でどう見られているかをあまり気にしない“イメージ“があったが・・

そのレジの優しそうで知的な感じのお兄さんは、日本語も話した。いかにも「勉強をして身につけた」というような、きちんとした日本語だった。

ここからは私の妄想。

あれ、ひょっとして、これ「ウクライナ」に関係があるんじゃないかな
・・・直感的にそう思った。

異国に来てみて、外国の人が母国にどういう印象を持っているか、色々と感じるところがあったのではないか。

そして、ウクライナでの戦争。

普段私も書いているように、中国ではウクライナでの戦争はほどんど報じられず、報じられても残酷な映像も、現地の被害者の声も顔もなく、ロシア政府が主語で、欧米、特にアメリカが悪いという結論のニュースがちょこっとだけ。中国ではコロナのロックダウンでそれどころではないとも聞く。

かたや日本は、あちこちにウクライナ国旗があふれ、都庁のビルまでウクライナカラーにライトアップ。人々は毎日破壊される街や住む場所を追われた人たちの映像にショックを受け、支援をどうしようと語り、また、日本だけでなく、世界中でそういう雰囲気になっている。

日頃中国にいる家族や友達と話す内容(というより、ほとんどウクライナは話題に上らない?)と、日本や世界での見方とのギャップが、あまりに大きいと感じたのではないか。

レジで交わした、たった1分の会話で、考えすぎかもしれない。しかし私は、彼の話し方の感じや、表情を見て、直感でそう思ったのだった。実は最近日本に住む中国の人たちとそういう会話をしたことも関係しているかもしれないが、確かにそんな感じがした。

振り返れば、私も若い頃初めてアメリカや中国など海外に行った時、日本がどう見られているかに関心があり、直接聞いたことがあった。自分の国が思いもよらぬ悪い語られ方をしていて辛かったり、反発したりしたこともあった。

外国の目を気にしすぎて卑屈になったり、その逆に過度に反発するのは全く違うと思う。しかし、「相手はどう見ているのだろう」と、少し思いを馳せることは、異文化理解には欠かせない、とても大事なことだと思う。

そうして知った相手の見方が間違っていると思えば、そう言って議論すればよいし、自分でもハッとすることがあれば改めればよい。いずれにせよ、ちょっとだけでも相手の立場に身を置いてみたら、そしてそれを双方がそれぞれやれば、きっと両者の理解に向けて大きな一歩になると信じている。理想論でも精神論でもなく。

ーー さて、私はそのレジの青年に、こう答えた。

挺好的。所以我学中文嘛!
(tǐnghǎode suǒyǐ wǒxué zhōngwénma!
=すごくいいですよ。だから中国語勉強してるんじゃないですか!

そう言った時の私の頭の中に、「政治」があったなら、この言葉は心にもない大嘘かもしれない。しかし、その時浮かんだのは、お世話になったり、議論したり、教わったり、一緒に泣き笑いをしてくれた中国の人たちの顔だった。

たったの1分の会話からの、この話の展開。
本当は単なる大妄想なのかもしれない。

しかし人間の「感覚」はバカにしたもんじゃないと思う。
あの時は、確かにこういうことを感じたのだ。

それでいい。
そして、あの青年もきっと、私から何か感じ取ってくれたはずだ、と信じている。
あの感じは、きっとそうなのだ。


=================
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ  😀

この度、生まれて初めてサポートをいただき、記事が読者に届いて支援までいただいたことに心より感謝しています。この喜びを忘れず、いただいたご支援は、少しでもいろいろな所に行き、様々なものを見聞きして、考えるために使わせていただきます。記事が心に届いた際には、よろしくお願いいたします。