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自分のために生きてみたいの
いろいろあった春だった。
いろいろで終わらないのがわたしだった。
発症率0.05%の病気を患い、緊急手術となり入院生活7日目。やっと意識が回復したので文章を書いている。半年後のわたしが今日より笑っていますように、と祈りながら。
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丸の内線で倒れかけたわたしにおばあちゃんが優先席を譲ってくれて、初めての大学病院で迷っていたらお兄さんが声をかけてくれて、そのおかげですぐに診て頂けて、病名と状態を知って泣きながら両親に電話をするわたしの背中を看護婦さん達がさすってくれて、突然の面倒な患者であるはずなのにたくさんの先生が「頑張ってね」「大丈夫だからね」とストレッチャー越しに励ましてくれて、夜明けに麻酔が切れて目が覚めたら仙台から両親が来てくれていて。
産んでくれた両親にはもちろん、見ず知らずの人達にまで迷惑を掛ける自分がもう本当に嫌で、拒絶反応か39度の熱を出し泣き続けた。
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20歳の春から、いつ死んでもいいと思ってた。誰かに必要とされることだけがわたしの生きる理由だった。その為なら何でもした。なんでも、だ。
父と母はやさしい。少しずつ叱ってくれる。そして言う。「これからはちゃんと自分のために生きなさい」と。
自分のために生きる。そんなこと、頭になかった。32歳の今まで誰かのために生き続けた。相手の迷惑になりたくないから愚痴や弱音なんて吐けなかった。要望だって言えなかった。だけど。
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本当は誰かに支えて欲しい時がたくさんあった。辛いときは辛いって言いたかった。体調が悪いときは無理して笑いたくなんかなかった。今回だって独りで病院になんか来たくなかった。何もしなくていいから、何も言わなくていいから、ただ誰か側にいて欲しかった。
心の中でずっと叫んでいたのだ。目に見えないものを大切にする相手じゃないと一人よりもっと独りだよって。もう独りは無理だよって。大人だから大丈夫、のおまじないは掛からなくなってしまったんだよって。
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病院に到着するのがあと1時間遅かったら大量出血で本当に死んでいたらしい。
生きながらえてしまったのだ。
とりあえず生きろ、ということだと信じていいのかな。退院したらわたしだけの部屋と鍵が待ってる。自分のために、生きてみてもいいのかな。
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