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日本では当たり前なことも、異国ではものすごいことのように思える

昨日私は、住んで4ヶ月の家の電球を変えた。


私はもともと、電球の交換という作業が大嫌い。

どれくらい嫌いかといえば、金額が数倍かかっても、交換しなくていいことのほうを優先してLEDの電球を買う。

引っ越したら、備え付けの電気は外し、自分が持っているシーリングライトに付け替える。

「絶対に届かない高さにある電球を換える」というのがどうも嫌いで、だから脚立を1台持つという対策もしていたけど、でもやっぱり嫌いだった。


そんな大嫌いな作業を、たった4ヶ月しか住んでいない韓国の家でやることになるなんて。

めぐり合わせが悪いなあとか思いながら、重い腰をやっと上げて、今日なんとか完了ができた。


めんどくさいこと×異国=すっごくめんどくさい


日本でもあまりやらないこと、めんどくさいことは、当たり前だけど異国でやろうとしたらすっごくめんどくさい。


例えば今回の電球交換。

そもそも電気屋とは韓国語で何だ? 韓国だと電球はどんなところに売っているのか? 分からないままにも、電気を韓国語に翻訳して検索をかけたらなんとか店にたどり着けた。

何を買えばいいか分からないから、外した1本を持って行って同じものをお願いした。親切なおじいちゃんが対応してくれて、持っていったものは引き取ってくれた。


日本なら常識というまでもなく、考えなくてもどこに売っているか分かる電球。というか、さらにもう1歩先の品質・金額比較に重きを置く。

でも、異国だと私が持っている常識が通用しないかもしれない。だから、そもそもどこでどんな行動が必要なのかを調べないといけない。


海外に住む大変さとはこういうこと。その国にある常識を、1つずつ理解していくこと。

いまの私は見た目は大人だけど、韓国の常識レベルでいえば赤ちゃん。それに加えて、マスクが標準の昨今では、そもそも日本人とも気づかれづらい。

対応してくれる店員さんからすれば、きっといろんなギャップが起きているな〜と思いながら家への道を歩いたのだった。


当たり前なことも、異国ではものすごいことのように思える


でも、1ついいと思うのはこれ。

日常生活で当たり前にやってきたことも、海外ではできるたびにものすごいことのように思える。


例えばいままでなら、家の電球を換えても、何倍も値段のするLED電球に付け替えても、誰にもそんなことは言わないし、だからもちろん承認もなかった。

でもいまはこうして「電球を換えた私すごい」と堂々と言うし、誰かからのいいねが私にとっての承認になる。


本当は、日本に住んでいても「電球を換えた私すごい」と言っていいのだと思う。それを止めていたのは、きっと自分。

海外に来たから止める自分が引っ込んでくれて、「私すごい」と言えている。


でも勝手な想像だけど、一度言えるようになったものは日本に帰っても言えるような気がする。

自分を肯定する・褒める機会は多いに越したことはない。

この先どこに住んでも、きっと私は「電球を換えた私すごい」とか、むしろ「飲食店で食事できた私すごい」とか言っていると思う。

私たちは、何をやってもきっとすごい。そう思う自分を、止めているだけで。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️