コーチの私とありのままの私が混在するとき
私の仕事はライフコーチで、聴くことを仕事にしている。私はこの在り方がすごく好きで、コーチングを身につけたら私自身が生きやすくなった。
だけど、いまでもたまに混乱をすることがある。お仕事としてのコーチの私と、プライベートのありのままの私をどう出し分けるか。
特に、まだ関係性の浅い相手の場合、コーチの人格を出してしまったほうがコミュニケーションが楽になる。
だけど、その関係性が長く続くものになる場合、私はコーチの人格で居続けることはできない。
コーチになって1年と4か月、このあたりはまだまだ格闘している。私はどちらでありたいだろうと、毎度考えている。
コーチの私であること
お仕事としてのコーチの人格は、いままでに得たスキルや思考、体験に考えをめぐらせて発揮するもの。
だから、お仕事としてお金をいただいて発動している。
一方で、この人格を発動すれば、関係性が築きやすいことを私は知っている。人とは自分のことをよく見られたいもので、私も例にもれない。
初対面の方と話すとき、私はいい人だと思われたい。そんな気持ちが、コーチの私の人格を発動させてしまうことがある。
特に、自己紹介としてコーチングの話をしてしまったら、もうスイッチは完全に押される。私は私に、話をよく聴くことを課す。この塩梅が難しい。
2つの私が混在する
初対面の誰かに会うとき、たいていの場合はコーチな人格のスイッチが押されている。私はよくリアクションをして、よく聴くことをしようとする。
だけど数時間も経つと、すぐに私は後悔を始める。これはほんとうの私ではない、私はもっと私らしく話をしたい。
ああ、今回もコーチの私に頼ってしまった。反省。私も私のままで話していいのだと私に許可をしよう。
だけどそういえば、私のままとはどんな状態だろう。私はどんな私で、これから友人になるひとたちと話したい?
そう、結局はここなのだと思う。私がコーチの人格を使ってしまうのは、結局まだ私がどう振る舞いたいかがわかっていないからだ。
だから、誰かと仲良くなれる最大の武器として、コーチの私を引っ張り出してしまう。いつもありがとうね、コーチの人格の私。
コーチングを学び始めて1年半。私が私をコーチングマインドで再構築し始めて、まだ1年半しか経っていない。
こうして格闘しているのも、コーチとしてあり続けるための私のリソース。起きることは、受けとって自分のものにする。
いまの私は、2つの私がよく混在する。コーチの私に頼らずとも、私らしく人付き合いを始められる私に出会いたい。
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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️