見出し画像

言葉のクセは、言語を超えても共有される

語学学校に通って約2ヶ月。昨日・今日で期末試験を受けています。

採点結果はまだ共有されていないけど、先ほど復習に教科書を見たら、案外使えていない言い回しがあったと気づきました。

別に覚えていないわけではないし、言われたら理解ができる。なのに私は、その言い回しをまったく使っていなかった。

そう気づいて興味深かったので、観察してみたいと思います。


使っていなかった言葉


今回私がどんな言い回しを使っていなかったかといえば、「〜しないといけない」という表現を使っていませんでした。

どこの駅で乗り換えないと「いけない」とか、勉強をしないと「いけない」とか。

教科書やテスト的にはそう答えた方が点数がいいのだと思います。でも、そう言わなくても伝わる表現。

私は「〜しないといけない」ではなく、「〜する」の形で回答をしていました。


生活していて使わない表現


日本語を使う生活で、私は「〜しないといけない」を意識して外しています。

なぜかといえば、純粋にこの表現が好きではないから。自分にも他人にも、「〜しないといけない」と決めつけるのが好きではないのです。


自分から発せられた「〜しないといけない」が自分を苦しめることがあったり、私が発した言葉が誰かを縛ってしまったり。

気をつけていても起きるし、気をつけていなければなおさら起きます。

私はなるべく誰をも縛りたくないから、話すときに使わない言葉や表現を意識して持つことにしています。


今回のテストの模範解答だった、「〜しないといけない」の表現。私はこの言い回しを日本語でも使わないようにしています。

その結果、韓国語に変換される前の「回答したい言葉のイメージ」に反映されなくて、回答に書けなかったんだなあ。

そんなふうに感じました。


言葉のクセは、言語を超えても共有される


初めて外国語を話せるようになった時、言葉が変われば違う人格の自分に出会えると気づいて感動しました。


当時話せたのはドイツ語。日本語とは概念が大きく違うし、だから哲学が発達したとも言われる言語です。

外国語でコミュニケーションが取れるとは、こんな効能もあるのか。

21歳の女子大学生だった私は、日本語では言えないことも外国語で出力すれば言える経験に感動しました。


この経験とは真反対のことを、いま私は感じているなと思います。

もしかすると、いま学んでいる言語が韓国語で、日本語と近いからかもしれません。日本語→ドイツ語時との変換のしかたの違いは日々感じています。

という理由探しは一旦置いておいて、言葉のクセは、言語を超えても共有される。言われてみればそうだよなと思いつつも、私は初めて実感をしました。


このあと1時間後に会話のテストを受けたら、今学期の試験は終わりです。

言葉の興味深さに触れつつ、せっかく身につけた言葉を忘れないように、休み期間を過ごしたいと思います。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️