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フリーライター。人の話をきくことに興味があります。自分の話をきいてもらうことも好き。

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マガジン

  • コーヒーの旅

    コーヒー農園で働く旅をしたときのエッセイ

最近の記事

日常のこと

料理好き、振る舞い好きのシェアハウスの同居人。 ナポリタン作った〜って、美味しい美味しいって自画自賛しながらご機嫌で食べてる。 たくさん作ったから、明日の昼ごはんに食べていいよって言ってくれる。 やったーありがとうって私の明日の楽しみが一つ増える。 これ食べて明日もがんばっておいでって、さらりと優しい言葉がじんわり心に響く。 こんなことがよくある代わりに、その人が豪快に散らかした鍋やらフライパンやらを、後で私はせっせと洗う。 しばらくしてからキッチンで自分用のごはんを作る

    • 「どんな人生だった?」

      6月、 93歳だったおばあちゃんが亡くなった。 悲しい気持ちももちろん大きかったけど、それだけじゃなかった。 10年前くらい、私はおばあちゃんと一緒に住んでいたことがある。1年間くらい。 お母さんと3人で。 おじいちゃんが亡くなって、一人で暮らすのが難しいおばあちゃんの家にお母さんと2人で引っ越した形だ。 おばあちゃんはかなりクセの強い性格で、お母さんと衝突することもよくあったし、一緒に暮らしてみると嫌な部分もたくさん見えた。 お母さんといろんなことを話していると、私にとって

      • これが私なんだ

        これが私なんだ これが私なんだ これが私なんだ 何度も何度も自分に声をかける。 最近、中学生や高校生の頃の感覚を思い出していた。 「中心に入れている自分でいたい」 いわゆるスクールカーストみたいなものは私が学生の頃にももちろんあって、もれなく私もその感覚をガッツリ感じながら過ごしていたわけで。 明るくて賑やかでクラスの中心にいるようなグループに入っていたい。 ずっとそう思っていた。 そのためにおしゃれで賑やかな子と仲良くなりたかったし、自分もそれに相応しい見た目になるよう

        • わたしは他人を差別したり見下したりするわたしを許します

          昨日の夜、うとうとしながら気がついた。 わたしはずっと前から、他人を差別したり下に見たりする自分を許したかったんだなって。 6年前にコスタリカのコーヒー農園に行ったことは、わたしの人生の中でもとても大切な経験だったのだけれど、コーヒー農園に行って、しかも生産者の人たちと一緒に働いてみたいと思った理由の一つは「対等な意識になりたかったから」。 大学生のときに国際協力の分野に興味を持ち始めて、ボランティアしたり学びに行ったりバイトしたり、とにかくめちゃくちゃ行動して没頭した。そ

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        • コーヒーの旅
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        記事

          その痛みは誰のものか。

          この痛みは誰のもの? この痛みは、誰のものなのか。 時々そんな言葉が湧いてくる。 誰かの痛みをどうにかしようとしないこと。 誰かの痛みを勝手にどうにかしようとしないこと。 誰かの痛みを勝手に引き受けようとしないこと。 その痛みは誰のもの? わたしのものじゃない。 本当は、その痛みはあの人のもの。 わたし自身がもやもやするとき。 悲しいとき。不安なとき。こわいとき。 この痛みは、わたしのもの。 奥のわたしがそう言っている。 この痛みは、わたしのもの。 勝手にどうにかしようと

          その痛みは誰のものか。

          誰が何と言おうと、この世界は美しい

          当たり前のように 当たり前のように こんなにも美しい世界が目の前に広がっている 誰が何と言おうと、私の生きるこの世界は美しい 誰が何と言おうと、この世界は最後には美しい 数年前に大事な人が亡くなって深い悲しみを味わったとき 悲しみにも温度があることを知った 悲しいんだけど、その悲しみに温かさを感じた 悲しみは決して冷たいものじゃなかった どんなものも、最後にはきっと美しい 苦しみも怒りも憎しみも モヤモヤもドロドロもイライラも 格好悪いも恥ずかしいも惨めも 最後にはきっ

          誰が何と言おうと、この世界は美しい

          奇跡とは、優しさ

          「天国からの奇跡」。 この映画を最初に観たのは5年前。3ヶ月弱のコスタリカへの一人旅の最後、アメリカから韓国へ向かう飛行機の中で何気なく選んだこの映画が、思いのほかわたしの心を大きく大きく揺さぶった。嗚咽してしまうほど号泣しながら、CAさんや隣の知らないお姉さんにチラ見されながら、溢れてくる涙と鼻水と感情を垂れ流した。 この映画では、とても不思議なことが描かれている。 普通に生活していた小学生の女の子が突然難病にかかってしまう。それまで仲良く楽しく過ごしていた家族も大変

          奇跡とは、優しさ

          くの字に伸びる草

          わたしは普通の住宅街に住んでいる。決してそこまで田舎ではないのだけれど、この写真のような景色の場所までは徒歩15分くらいだ。そう思うと結構田舎なのだろうか。 ここは河川敷。この木々の向こうには大きな川が流れていて、場所によっては向こう岸にもたくさんの住宅が立ち並ぶのがはっきりと見える。 アスファルトの道の部分以外はあまり人の手が入っていないのか、ここに生えている木や草はかなりのびのびとしているように見える。無数の虫や鳥の声が聞こえてくる。今の時期はトンボとぶつからないよう

          くの字に伸びる草

          きき合うことのできる世界

          「話をきいてもらうことができた」。 本当の本当に心の底からそう思えるときってどんなときだろう。 わたしたちが普段誰かに話しかける機会はたくさんある。たとえば友だちとカフェでお茶を飲みながら会話をする。そんなとき、お互いに言いたいことを言い合う。悩みや愚痴、最近あったことや昔ばなし。でも本当に相手に「話をきいてもらえた」とか「相手の話をちゃんときくことができた」って思えることって少ないんじゃないだろうか。少なくてもわたしはそういう場面で、相手の話に耳を傾けながらも「次は自分

          きき合うことのできる世界

          自然なこと

          この写真の雲は、一体何に見えるだろうか。ブーメラン、鳥、ハート…。私には大きく手を広げて飛んでいる長髪の神さまのような、天使のような、そんな風に見えた。最近の空の様子がとても綺麗で、ついつい見入ってしまう。 私の心臓は、私が動かそうと思わなくても勝手に動いてくれる。生きようとしてくれる。私の心臓にとってはそれが自然なことなのだ。 自然に。ただ自然に生きればいい。 夏の夕焼け空がすごく綺麗で思わず立ち止まったり、真っ赤な満月に目を奪われてしばらくベランダに出て眺めたり。鳥の声

          自然なこと

          存在するだけで、誰かを救っていることがある

          以前の記事にも書いたことがあるけれど、わたしは時々パニック障害のような症状が出ることがある。症状は軽い方だと思う。過呼吸になったり、死ぬかもと思ったりしたことはない。動悸が激しくなってきてすごく不安になる。そんな感じ。 つい最近、久しぶりにその症状が顔を出した。わたしが苦手なのは電車の中。パニック障害の人には割と多いみたい。電車ってこわい。知らないいろんな人がたくさん乗っていて、座れないこともある。今はコロナ渦だから窓が開いているのが救いだけど、基本的に密室で空気が悪いのも

          存在するだけで、誰かを救っていることがある

          人生の主導権が返ってくる

          この間、〝ヒプノセラピー〟というものを受けさせてもらった。 わたしは今「本音をさらけ出して生きること」を課題に感じていて、それができるようになりたいと願っているのだが、ヒプノセラピーでは、そうできなくなった最初のきっかけに遡って自分を癒す、という感じの催眠療法だった(わたしの解釈ですが)。 わたしが本音をさらけ出そうとするとどんな風に感じるのか。例えば相手に何かを断るとき。予定を変更してもらうとき、迷惑をかけてしまうとき。わたしは自分の気持ちを犠牲にして、我慢して、何も起

          人生の主導権が返ってくる

          記憶のフタを開ける

          わたしは時々、過去の自分に会いにいく。 今持っている自分の思考の癖は、今までのどんな経験がもとになって生まれたものなんだろう、と遡るためだ。 「どうしてこんなにも、わたしは本音を相手に伝えることがこわいんだろう」。 今日は、そう思ったことがきっかけだった。 小学4年生くらいのとき。 2つ年下の妹が入院することになった。 腎臓の病気で、治らないかもしれない結構大変な病気らしかった(今は完治して元気)。でも当時のわたしにとっては、「妹が心配」というよりは、お母さんやお

          記憶のフタを開ける

          文章はわたしを救ってくれる

          「文章はわたしを救ってくれる」 そんな風に最初に自覚したのは、高校卒業のとき。 卒業式が終わって家に帰ると、差出人の書かれていない自分宛の手紙が届いていた。 どこかで見覚えのある字。それはまぎれもなくわたしの字だった。 高2の時の授業の中で書いた〝未来の自分宛の手紙〟。 そういえば卒業式の日に家に届くと言っていたような気もするけれど、すっかり忘れていた。 中身を開けて読むと、思いのほか心に響いた。 最初は照れがありながら遠慮がちに書き始められた文章は、段々と友人に語りかける

          文章はわたしを救ってくれる

          友だちの結婚が喜べなくなったら、シーソーから降りてみる。

          結婚ラッシュというのは、一般的には20代半ば頃に来るものだろうか。 わたしは友人関係がそんなに広くもなく、自分自身が仕事に重きを置きたいと考えていたこともあって似たような感覚の人の中で過ごしており、結婚ラッシュなるものは強烈には来なかった。 それでも時々、仲の良い友だちが結婚するという話には遭遇するし、学生時代の友だちと会えば「あの子あの人と結婚したんだって~」という話も耳にする。25歳くらいまでは、「自分はまだまだ先でいい」と他人事に感じていたけれど、28、29歳くらい

          友だちの結婚が喜べなくなったら、シーソーから降りてみる。

          “余分な情報”、その奥にある想い

          スピッツの「ウサギのバイク」という歌をきいた。3分28秒の曲で、最初の1分半くらいは「ララララ~」とか「トゥトゥトゥトゥ~」で構成されている。なんか、それをきいてるとすごく心地よくて、歌詞になっていなくても想いが伝わってくる感じがした。そういう感覚は、インタビューも同じだと思う。 誰かにインタビューをするとき、“言葉にならない想い”によく出会う。 「うーん…」 話し始めるまでの数秒間とか、 「なんていうかな、」 頭の中で言語化しようとするときの表情とか、 「えっと

          “余分な情報”、その奥にある想い