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文章はわたしを救ってくれる

「文章はわたしを救ってくれる」
そんな風に最初に自覚したのは、高校卒業のとき。
卒業式が終わって家に帰ると、差出人の書かれていない自分宛の手紙が届いていた。
どこかで見覚えのある字。それはまぎれもなくわたしの字だった。

高2の時の授業の中で書いた〝未来の自分宛の手紙〟。
そういえば卒業式の日に家に届くと言っていたような気もするけれど、すっかり忘れていた。
中身を開けて読むと、思いのほか心に響いた。
最初は照れがありながら遠慮がちに書き始められた文章は、段々と友人に語りかけるような親しみのある口調に変わっていった。
そりゃ響くよなーと思う。
どんな小さな悩みや不安も、他の誰よりも共感できて寄り添うことのできる存在。それが自分なのだから。
過去に書いた文章は、未来の自分を救うことがある。
そう気づいたのはそのときだった。

本格的に文章を書き始めたのは大学生のとき。
いろんなことに悩んでいた。
覚えているのは、環境問題の深刻さや政治のことについて(笑)。
マスコミ系の専攻だったこともあり、いろんな社会問題に関心を持っていたわたしは、本気でいろんなことに不安を持っていた。
とても一人では解決できないような社会の問題を知っては思い悩んでいた。
とても大きな不安を抱えていた。
そんなとき、ふと「書いてみよう」と思い立った。
この悶々とした想いを全部吐き出してみよう。
「吐き出す」。まさにそんな表現がふさわしい感じ。
出てくるままに言葉にした。
感情のスピードにペンが追いつかないくらいに、書きまくった。書いて書いて書きまくった。
そして一段落ついたとき、驚いた。
あれだけ持っていた不安な気持ちが、なくなっている。
心がとても軽くなった。
そのときに、「書くことは自分にとってとても大事なことになる」と直感した。
日々の想いを吐き出せる大事な場所。書き終わったときの爽快感。
何事も三日坊主でしか続かないわたしでも、書くことはずっと続いた。

なぜわたしがこれけ書くことに救われるのかというと、「話すのが苦手だから」だと思う。
わたしは、自分の本当の想いを話すのが苦手だ。
親しい相手にも、中々本音はそう簡単には話していないと思う。
無意識のうちに、その場がうまくいくような発言をする。
場の空気が、相手の表情が、自分の言ったことによって変わることがこわいのだ。
特に社会人になってからは、先輩や上司の顔色を伺ったり、取引先の人に気を遣ったり、本当に心が疲れきっていて、日記を書く頻度も増えた。
そのとき自覚していた。
寂しいけれど、悲しいけれど、わたしには、洗いざらい本音を言える相手が日記しかいなかったんだ。
何の心配もなく気を遣うこともなく想いを吐き出せる場所は、ノートしかなかった。
わたしは自分のためだけに日記を書いた。書きまくった。
わたしはこのときも文章に救われた。文章を書いていたおかげで生きていられた。
でも。
本当に本当に望んでいたのは、誰かに本当の想いを全部きいてもらうことだったんだと思う。
それがどうしてもできなかったわたしは、限界まで溜め込んでこぼれてしまいそうな気持ちを、どうにか処理するために日記を書くしか方法がなかった。


「誰かに話をきいてほしい」。
痛いくらいそう感じていたわたしは、〝きくこと〟に興味を持った。
きっと、話をきいてほしい人はたくさんいるはずだ。あのときのわたしみたいに。
そう思ったわたしは、〝インタビューして記事にし、それを返す〟という活動を始めた。
芸能人やスポーツ選手のように有名にならなくても、みんな人生の主役を歩んでいる。
そう思うと一人一人の主役の話を、きいてみたくなった。
何かの媒体に掲載するわけでもなく、発信するわけでもない。
相手が話したことをわたしがきき、わたしというフィルターを通して文章で表現し、また相手に返す。ただそれだけ。
とても喜んでもらえた。それと同時に、わたしにも不思議と毎回すごく大きな気づきがあった。
相手が話してくれたことの中で温度の高い部分、愛を感じる言葉たちがわたしの中に染み込んでいって反応し、じんわりと涙が出てくることが何回もあった。
生きてる実感が持てた。
自分はこのために生きているんだと、確信が持てた。
わたしは自分のために文章を書いていた。
それが結果的に相手にも喜んでもらえるものになっていた。


そして今。
わたしは自分のために文章を書いてはいない。
仕事だから。自分の好きなことのはずだから。だから書いている。
文章を書いても、生きている実感が持てない。

もう一度、わたしは自分のために文章を書こう。
自分のためだけに書こう。
そしたらきっとまた文章はわたしを救ってくれるはずだ。

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