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手を使って書くことと描くこと:前編

たまには自分のことも書きます。

わたしは絵を選んでいるけど、そういえばお手紙も好き!

と思い出したので、今回はお手紙にまつわるエピソードをお話しします。

幼少~小学校:早熟な中二病

保育園のころは、仲のよいおともだちにお手紙を書いていました。

たぶん幼いなりに鉛筆を手にとって字が書けるのが嬉しかったのだと思います。

小学校に入ってからは、学区で離れた保育園のお友だちへ書いていました。愛知から青森に引っ越していった近所の子と文通など。

小学校1年生くらいの頃に「面白そうだから」という理由で、手紙1通のなかで何人か文体を変えて送る暴挙もしていました。
早熟な中二病ですね。低学年だから黒歴史ではないと信じています。

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この頃には最も歳の近い従妹も字が書けるようになったので、従妹との文通も増えました。

小学校高学年~中学校:オタ活友達

小学校高学年からはアニメをよく観るようになり、当時毎号購読していた雑誌ではペンフレンド募集コーナーがありました。

購読しているうちに私もシュミ友と文通してみたい気持ちが募り、意を決して件のコーナーに初めて投稿したところ運よく一発で掲載

全国に自分の住所公開って、いまでは考えられないですよね。時代を感じる…。

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投稿を見て送ってくれた人は数人いて、その中のひとり、同い年の子とは高校まで文通を続けていました。

互いにいちばん好きなマンガが同じなので、好きなシーンを心置きなく話せて、話も通じやすいのが嬉しかったです。

その子繋がりで同じく趣味の合う東京の子とも文通をしたりなど、ネットが発達していないなりの交流もありました。

彼女らとの文通を続けるかたわら、地元では美術部(実態はほぼマンガサークル)に所属し、何人かでイラストを交えて近況を描きあう、マンガ界でいうところのペーパーを作っていました。

二次創作・一次創作であれイラストを身近な人と贈りあうのは、その人の温度が感じられてとても楽しかったです。

この辺りが手書きと絵の原風景なのだと思います。

高校:交換日記

高校では市外の美術科に進学したことから中学時代と比べ格段に忙しくなったため、ペンフレンドとは協議の結果文通をやめることに。円満疎遠。

そんなお別れと入れ変わるように、高校では総勢8名ほどの交換日記が始まりました。

交換日記って、したことありますか?

こう、大人が思う交換日記って甘酸っぱい青春イメージでしょうが、わたしはぜんぜん甘酸っぱくない交換日記でした。

きっかけは席が近い4人くらいでなんかやろう!ってなって、だんだん繋がりで加入とかそんなんだった気がする。

無印のぶあついドット罫リングノートを使って、みんな毎回挿絵を付けていました。

クラス替えなしで3年間続けられたのはちょっとうれしかった

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書くものといえば好きな音楽や進路など一般的な高校生が抱く話題のほか、絵や表現にまつわる悩み、哲学・倫理の授業内容についての意見交換などもしていたと記憶しています。

実は中学でも5名ほどで交換日記をしていて、そっちはだいたい週刊少年ジャンプか、うすた京介の話でした。(それはそれで楽しかった)

高校では、より自分の根底にある感情や考えを文章や絵で近しい人に伝える身近なツールが、交換日記という定義づけをしたのだと思います。

幼少~高校までの「わたしとお手紙」のまとめ

・幼少~中学はおともだちとの文通
・絵と文字は、人と繋がるツールとして認識
・高校では交換日記を通して、より深部を伝えるものに。

絵と文についての言語化を初めてした気がします。
noteが細々と続いているのも自分にとって身近だったんだなーと感じました。

厳密には手紙じゃなくなったけどいっか

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後編はこちら


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