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友だちの結婚が喜べなくなったら、シーソーから降りてみる。
結婚ラッシュというのは、一般的には20代半ば頃に来るものだろうか。
わたしは友人関係がそんなに広くもなく、自分自身が仕事に重きを置きたいと考えていたこともあって似たような感覚の人の中で過ごしており、結婚ラッシュなるものは強烈には来なかった。
それでも時々、仲の良い友だちが結婚するという話には遭遇するし、学生時代の友だちと会えば「あの子あの人と結婚したんだって~」という話も耳にする。25歳くらいまでは、「自分はまだまだ先でいい」と他人事に感じていたけれど、28、29歳くらいになると「自分はいつ頃結婚するのだろう」と思い始めた。周りの友だちとは、結婚するだけでなく子どもを産んだというような話も普通に出てくるようになった。
そして今、わたしは33歳、独身、女性。今のところ結婚する予定はない。
周りの友だちには、独身の子よりも結婚している子の方が多くなってきたし、2つ上の姉は2人の子どもがいて、2つ下の妹も結婚して子どもを産んだ。
「さみしい」。
わたしの中にはこんな感情が出てくるようになった。学生の頃は同じ景色を見て笑っていた友だちが、毎日育児に追われている。わたしよりも少し後を歩いていたはずの妹は、わたしには想像してもしきれないような出産という経験をして、自分のことよりも何よりも優先してしまうほど大事な存在と一緒に暮らしている。
「わたしは本当に結婚がしたいのか」。そう自問すれば、「したい!」という答えはすぐには出ない。〝羨ましい〟という言葉は少し違っている気もする。ただ周りの人たちが、自分とは違うステージに上がっていっているような気がして、自分が置いて行かれているような気がして、さみしくなる。「置いていかないで」という気持ちになる。
そんなとき、また友だちが結婚したり、妊娠したりすると、素直に喜ぶことができない。そういう自分に罪悪感を持ったり、嫌になったりすることはない。でも、誰かの幸せを心から喜べる状態の方が、自分が幸せだなと思う。
そんなことを考えているとき、ふと思った。
「その人たちの幸せとわたしの幸せは、一切影響がないんだ」と。
友だちが幸せになると、それと比較してわたしが少し不幸なんじゃないか、置いていかれるんじゃないか、そう思ってモヤモヤした気持ちになっているんだなと思う。それはシーソーに乗っているのと少し似ている。相手が上がると、自分が下がる。
でも、そうじゃない。シーソーから降りてみればわかる。
相手が幸せになったからといって、自分が不幸になんてならない。自分が幸せになったからといって相手が不幸になることもない。相手の幸せと自分の幸せは、関係がない。むしろ本当は、大事な人が幸せになれば自分も嬉しいし、自分が幸せでいれば周りの人も喜んでくれる、はずなのだ。
そもそも、結婚・出産=幸せ、というのも違う。みんな自分として全力で生きている。経験する内容が違っているだけで。
こうやって自分の心の中を観察していると、いかに人と比べながら生きているのかがわかる。自分は自分にしか幸せにできない。
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