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存在するだけで、誰かを救っていることがある

以前の記事にも書いたことがあるけれど、わたしは時々パニック障害のような症状が出ることがある。症状は軽い方だと思う。過呼吸になったり、死ぬかもと思ったりしたことはない。動悸が激しくなってきてすごく不安になる。そんな感じ。


つい最近、久しぶりにその症状が顔を出した。わたしが苦手なのは電車の中。パニック障害の人には割と多いみたい。電車ってこわい。知らないいろんな人がたくさん乗っていて、座れないこともある。今はコロナ渦だから窓が開いているのが救いだけど、基本的に密室で空気が悪いのもすごく嫌だ。そして自分が降りたいときにすぐに自由に降りれないことも多い(乗る電車によっては15分とか止まらない)。なんていうか、助けを求めるのにハードルが高い環境な気がする。助けを求めるとすごく注目されそう、という感じもする。

症状が出たのは、友達と会った帰りだった。別れて駅に向かう前からなんだか身体の調子が良くない感じはしていた。嫌な感じでふわふわしてた。座れる電車を選んで、音楽をきいて目をつぶり、家の最寄り駅までなんとか耐えようと思った。

そのとき、電車のアナウンスが鳴った。踏切のトラブルで前の電車が10分くらい遅れているらしい。この電車も遅れる予定で、場合によっては10分以上遅れるかもしれないと。

ガーン…。こんなときに限って。10分以上遅れるって何分遅れるんだろう。どれだけ待たないといけないんだろう。大丈夫かな。不安になってきた…。

違うことを考えながらだましだまし来ていたが、アナウンスをきっかけに動悸が激しくなってきた。ドキドキドキ…。あー、やばいかも。

でも、どうしようもない。電車はわたしがどうしたって動かせないし。心臓はドキドキして身体はふわふわするけれど、そのまま座り続けるしかなかった。


わたしは、いったい何を不安に思っているのだろう。そう思ったとき、たぶん「つらいのに助けを求められないこと」がとても不安なんだと思った。一人で抱えなくてはいけない。隠さないといけない。

じゃあ、今日は少しでも助けを求めてみようと思った。隣の知らない人に助けを求める勇気はまだないので、友達に連絡してみよう。わたしの体調のことを知っている友達にラインで文章を打った。


不安だから気を紛らわせるためにラインに付き合って欲しい。


そう打っているうちに、止まっていた電車が動き出した。それで少しほっとして、動悸もおさまっていった。

そのとき思った。メッセージは送らなかったけど、もし送っていてすぐ見てくれていたら、絶対にその子は心配して助けてくれただろうなって。

たぶんその子だけじゃなくて、他のあの人も、あの人も、きっとすぐに返信して助けてくれた。家が近いあの人だったら、もしかしたら迎えにきてくれたかもしれない。きっとみんな助けてくれた。

そう思ったら、嬉しくて嬉しくてポロポロ涙が出てきた。ありがとうって心から思った。みんなの優しさが身に沁みた。

わたし、誰にもメッセージ送ってないんだ。別に何か優しい声をかけてもらった訳じゃないんだ。でも、もうその前にわかったんだ。わたしの周りにいる人たちがみんな優しいってこと。困っていたら、絶対に助けてくれるっていうこと。


その日、わたしは自分の周りの人たちの存在に、ただ救われた。存在してくれるだけで、救われた。勝手に。ただ存在しているだけで、誰かが救われることがある。それを身を持って体験した。


無理に誰かや何かの役に立とうとなんてする必要はない。役に立てていないからといって、自分に価値がない、なんて思わなくていい。

この世界ではきっと、存在しているだけで誰かの役に立てるようにできている。その証拠に、この日こんなにもわたしは救われたのだから。

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