見出し画像

これが私なんだ

これが私なんだ
これが私なんだ
これが私なんだ

何度も何度も自分に声をかける。

最近、中学生や高校生の頃の感覚を思い出していた。
「中心に入れている自分でいたい」
いわゆるスクールカーストみたいなものは私が学生の頃にももちろんあって、もれなく私もその感覚をガッツリ感じながら過ごしていたわけで。
明るくて賑やかでクラスの中心にいるようなグループに入っていたい。
ずっとそう思っていた。
そのためにおしゃれで賑やかな子と仲良くなりたかったし、自分もそれに相応しい見た目になるように流行っているものを頑張って持ってみたり、流行っている髪型にしたりした。当時はそれを本当に「かわいい」「欲しい」って思っていたし、それがわたしの本心だと思っていた。
実際に、割とクラスの中心にいるような子と仲良くなって同じグループになっていたと思う。自分の感覚ではカーストの中の上くらいのところにはいつも居られて、割と誰とでも話すことのできる位置にいた。ずっとこんな感覚は隠していたけれど、この通りものすんごい他人をランクづけして、友だちをランクで見ていて、それについて行くのに必死なちっこいちっこい私だったのだけれど。
そう、いつも必死だった。「中心にいられる自分」であるために。
みんなからズレないように。みんなと同じであるために。みんなから弾かれないように。みんなと違う部分は、当たり前のように隠していた。出さないようにしていた。“イタイ”と思われるのが嫌で、こわくて。ズレてる、なんか違うって思われるのがめちゃくちゃ嫌で。そんな風に思われる自分なんてかわいそうで見ていられない。孤独で寂しい自分なんて、かわいそうで痛々しくて見ていられない、感じることなんてできない。だからそうならないようにならないように必死で頑張ってた。

最近そんな感覚を思い出していて。
過去のことなのに、そういう感覚はすぐに蘇って胸がぎゅーっとなった。痛くて苦しかった。

必死に「中心にいられる自分」であるように頑張った。ではどうして頑張ったのか。
そのままの自分では中心でいられないって思っていたから。そのままの自分は人と違っていることを知っていたから。そのままの自分は他人とズレていると知っていたし、ズレていると仲間にしてもらえないと思っていたから。ズレている自分はイタイと思っていて、イタイ自分からは人が離れていくと思っていたから。私自身が、そう思っていたから。そう信じていたから。
私は自分が「そうならないように」頑張ったんだけど、実際は既に「そう」だったんだと思う。それを隠して隠して隠して、みんなと同じように振舞っていただけで。既にそうだった。
既にわたしは他人とズレている。
既にわたしはみんなと違っている。
既にわたしは痛々しい。イタイ。
既にわたしは寂しい。
既にわたしは孤独。
隠していただけで、必死に認めなかっただけで、既にわたしはそう感じている。

これがわたしなんだ。
これがわたしなんだ。
これがわたしなんだ。
痛みも、寂しさも、孤独感も、味わう。味わう。味わう。

これがわたしなんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?