見出し画像

「どんな人生だった?」

6月、
93歳だったおばあちゃんが亡くなった。
悲しい気持ちももちろん大きかったけど、それだけじゃなかった。
10年前くらい、私はおばあちゃんと一緒に住んでいたことがある。1年間くらい。
お母さんと3人で。
おじいちゃんが亡くなって、一人で暮らすのが難しいおばあちゃんの家にお母さんと2人で引っ越した形だ。
おばあちゃんはかなりクセの強い性格で、お母さんと衝突することもよくあったし、一緒に暮らしてみると嫌な部分もたくさん見えた。
お母さんといろんなことを話していると、私にとっておばあちゃんは「お母さんを苦しめた人」という印象も強くなってしまった。もちろんそれはほんの一面でしかないし、もっと言えば私の中の印象でしかなくて、実際にはきっと違っているということも頭では理解しているのだけれど。

おばあちゃんの認知症が進み、私たち家族だけで一緒に生活することが難しくなった。そしておばあちゃんは、施設に入った。

おばあちゃんと最後に会ったのは、たぶん5年前くらい。
おばあちゃんは私のお父さんのことをあまり良いようには思っていないところがあって、よくお父さんの愚痴を聞かされた。まぁ言い分は正しいのだけど、自分の親の愚痴というのは受け入れ難いものがある。
最後に会ったそのとき、おばあちゃんの住む施設の部屋に行くと、おばあちゃんは怒っていた。認知症が進むと怒りの感情が沸くことも多いらしい。その怒りの感情が、たまたま昔のお父さんとの経験に結びついて、おばあちゃんはそのときお父さんにめっちゃ怒っていた。その日は私とお母さん、そしてお父さんとおばあちゃんの4人で外食をする予定で来ていたのだが、こんな状態でお父さんに会わせられる訳もなく、車で待っていたお父さんにはやんわりと事情を連絡して電車で帰ってもらった。
その日は予定を変更し、近くのスーパーでお弁当を買ってお母さんとおばあちゃんと3人で部屋でお昼を食べた。おばあちゃんは昔の話、自分が学生だった頃の話を繰り返し繰り返しめっちゃ喋っていた。友だちとこんな会話をしたとか、こんないたずらをして結構やんちゃしてたんだとか、こんな風に男子から言い寄られたんだとか。それはそれは詳しく再現してくれて、その姿はまるで落語家のようだった。思い切り話をできて、おばあちゃんは楽しそうだった。

そのときは私も、おばあちゃんが話したいことを話せたようでよかったなと思って帰ったんだけど、そのあとは自然とおばあちゃんの施設に足が向かなくなった。コロナ渦ということも重なり、会わないうちにどんどん時間が経っていった。

今年の6月におばあちゃんがもう危篤だという連絡を受け、急いで病院に向かったけれど間に合わなかった。おばあちゃんと対面したときにはもうおばあちゃんは亡くなっていた。
でも、私はあまり後悔しなかった。
「もっと会いに行っていればよかった」とは思わなかった。
自然に足が向かなくなってからも、要所要所で自分に問いかけていたから。
「会いに行きたいかどうか」。
「会いに行きたい」とはならなかった。私はその自分の気持ちを尊重し続けたという自覚があったから。

妹やお姉ちゃんは、時々、「おばあちゃんに会いに行きたい」と言っていた。自分の子どもたちをおばあちゃんに会わせたいって。
その度に私は、自分とは違うな、と思っていた。2人はあまりおばあちゃんの嫌な部分を知らないんだなと思っていた。
おばあちゃんが亡くなったときも、「感謝しかない」と泣きながら話しかける妹と、自分の感覚の違いに目が向いた。
私はおばあちゃんに対して、決して気持ちのいい感情だけを抱いてはいない。
私にはおばあちゃんを嫌っている部分があった。
お母さんを苦しめたことを、私自身が怒っていた。
それでも、おばあちゃんに愛してもらった記憶も容易に思い出すこともできて。
私の中にはおばあちゃんに対していろんな感情があった。

おばあちゃんに、最後に何て声をかけたいのだろう。
私は自分自身に問いかけた。
「ありがとう」「大好きだよ」
普通だったらそんな言葉が出てくるところだけれど、自分はどうだろう。私は違う。
ありがとうも大好きも、嘘じゃないけれど、それだけじゃない。全然それだけじゃない。
そう思ったときに出てきたのは
「どんな人生だった?」。
どんな人生だった?っていう言葉。
私が正直な気持ちでおばあちゃんにかけたいのは、この言葉だった。
おばあちゃんはどんな人生だったのだろう。
こんな人生だった、もし人が自分の人生をそう振り返ることができたとしたら。
辛い人生だった、幸せな人生だった、しょうもない人生だった、苦しい人生だった…。
人が自分の人生を、最後にどう振り返ったとしても、それは愛の中にあるような気がしたんだ。
最悪な人生、苦しすぎる人生、辛い人生…。どんなにきつい言葉があてられていようとも、そう言葉にするその人を包み込んでいるのは、温度のある愛のようなものなんじゃないだろうかと、そう感じた。

おばあちゃんが自分の人生をどう振り返るのか、もちろんそんなことは誰にもわからない。
「どんな人生だった?」という言葉は、私がおばあちゃんを受け容れるための言葉なんだきっと。
私にはどうしても理解できなかった感情も、煩わしいと思ったことも、嫌いだと感じる部分も。
わからないまま、分かり合えないまま、受け入れられないまま、
「どんな人生だった?」と声をかけられたらそれでいい。
私とは違っているけれど、そういう人生だったんだなと不思議とそう思える言葉。
そしてこれはおばあちゃんに対してだけじゃない。誰にでもこの言葉をかけられるような自分でいたい。
「どんな人生だった?」と声をかける私の態度は、「あなたをそのまま受け容れたい」という態度だから。
私は出会う人たちに、そして本当は自分自身に、「あなたをそのまま受け容れたい」と言ってあげたいんだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?