記憶のフタを開ける

わたしは時々、過去の自分に会いにいく。

今持っている自分の思考の癖は、今までのどんな経験がもとになって生まれたものなんだろう、と遡るためだ。

「どうしてこんなにも、わたしは本音を相手に伝えることがこわいんだろう」。

今日は、そう思ったことがきっかけだった。

小学4年生くらいのとき。

2つ年下の妹が入院することになった。

腎臓の病気で、治らないかもしれない結構大変な病気らしかった(今は完治して元気)。でも当時のわたしにとっては、「妹が心配」というよりは、お母さんやお父さんが、なんだかただ事じゃない顔をしていて不安、という感覚だった。

妹は8ヶ月くらい入院した。その間、お母さんは毎日病院に通った。学校から帰ってもお母さんはいなくて、帰ってくるのは夜8時半くらいだった。わたしは3姉妹の真ん中で、2つ上のお姉ちゃんと一緒に毎日家で留守番をしていた。お父さんは仕事が忙しくて、夜10時くらいにならないと帰ってこなかった。

わたしは、本当は寂しかった。なんで自分ばっかり我慢しなくてはいけないのか。お母さんはなんで妹のところばかり行くのか。もっとわたしもお母さんと一緒にいたいのに。お母さんに病院に行って欲しくない。本当はそんな気持ちでいっぱいだったのに、言えなかった。言えなかった。言えるはずなかった。誰がどう見たって、誰も悪くないし、妹の方が大変だし、お母さんも大変そうだし。言ったらお母さんを困らせる。怒られるとすら思っていたかもしれない。とてもじゃないけどそんなわがまま言えるはずがなかった。だからずっと我慢した。

そんな気持ちで私の心はいっぱいだったから、正直妹の心配なんて1ミリもしていなかった。自分のことで精一杯だった。妹のことなんてどうでもよかった。むしろ憎んですらいた。わたしからお母さんを奪う存在として。お母さんからよく病院での話をきいていたけれど、小児科で仲のいい友だちができて楽しくしているようだったし、入院しているからといっておもちゃを買ってもらったりしていることをずるいとも思っていた。嫉妬の対象だった。


本当は、言いたかった。「わたしももっとお母さんと一緒にいたい」「病院に行かないでほしい」「もっとわたしのことを見て欲しい」。


昔そんな風に思っていたことを、今お母さんに伝えてみた。

そしたらお母さんからの言葉で、新たな記憶が、そのときの感覚が、次々と蘇ってきた。

「なんでこの子らはお姉ちゃんやのに、なんでもっと妹に関心が持てへんねやろうって思ってた」。

もちろん頭では、この子たちにも寂しい思いをさせているとわかっていたけれど、心のどこかには常に、なんでもっと心配してやれないのかという気持ちを持っていたというのだ。

その言葉をきいて、当時の感覚が一気に蘇った。

そうだ、わたし必死だった。お母さんにわたしの本性を隠すことに。

お母さんは、時々呆れたように悲しみながらわたしたちに怒ることがあった。

「あんたらは妹のことが心配じゃないの?」と。

わたしたちは、あまり妹のことに関心を持てなかった。だから妹が病院でどんな風にしているのか、自分からきくこともなかったし、あまり知りたくなかった気がする。お姉ちゃんがどうだったかわからないけれど、少なくてもわたしは、妹のことをずるいとすら思っていたし、嫉妬の対象だったから、そりゃ心配なんてできるはずなかった。でも、そんな風に呆れたように怒られるとき、胸がきゅーってなって、自分のことが情けなくなって泣きたくなった。

「わたしは優しくないんだ。良い子じゃないんだ。こんな自分ではだめなんだ」。

本当のわたしでいると、お母さんに呆れられてしまう。嫌われてしまう。がっかりさせてしまう。こんな自分は隠さなくてはいけない。幼いわたしは、そう学んでしまった。


今お母さんと話していると、その頃のお母さんの大変さが容易に想像できる。昼までにできる家事を全て行い、晩ご飯の準備までしておく。昼過ぎに毎日病院に通い、夜8時半くらいに家に帰ってきてまた家事をする。旦那の帰りはいつも10時を過ぎてから。その頃30代後半だったお母さん。本当に、必死だったと思う。できることは全てやってくれていたと思う。

本当は学校にも行きたいし、友達とも会いたいし、走り回って遊びたいのに、それを我慢して何ヶ月も入院生活をする妹。お母さんからすれば、少しでも笑顔でいる時間を増やしたいと、そりゃおもちゃも買うだろう。それに加えて、妹はお母さんが病院に行くと、毎日自分のお姉ちゃんたちが家でどんな風に過ごしているのか聞いてきたそうだ。でも家に帰ると、心配する様子もなく関心のない2人のお姉ちゃん。そりゃ悲しくもなるだろうなと思う。なんでもっと妹のことを心配してくれないの?って思うだろうと思う。



全てが、仕方がなかった。誰も悪くなかった。


その頃のわたしに全力で言ってあげたい。

どんなわたしでもいいんだよ。どんな気持ちを持ったっていいんだよ。悪い子なんかじゃないんだよ。どんな気持ちを持ったっていい。優しくなくたっていい。わたしが全て受け止めてあげるよ。汚い気持ちを持ってもいいし、出してもいいんだよ。わがまま言ってもいい。全部、全部、わたしがそこに持っている感情全部そのまんま、今のわたしに受け止めさせてよ。そのまんまでいいんだよ。


今は心からそう思う。どんな感情を持ったって、罪悪感を持つ必要はない。出てくること全て、そのままでいい。そのまま受け止めたい。そのままの自分を包み込んであげたい。


***************


ここまでは、この前に過去を振り返って気づいた話。

今日、この話を別の人にきいてもらえる機会があった。

その人は、わたしの話をよくきいてくれて、わたしに質問した。

「あいこさんは、あまり泣かない子だったんですか?」

そういえば、小学生の頃はあまり泣かない子だったような気がする。小学校6年間で泣いたのは1回か2回だったと思う。でも不思議なことに、わたしは幼稚園では毎日泣く子だったことを思い出した。本当に、毎日1度は泣いて帰ってきた。よく覚えているのは、折り紙の折り方がわからなくて泣いていたこと。先生が前で説明しながらみんなでそれぞれ折り紙を折っていくのだが、自分でやっていてもすぐにわからなくなって、泣いた。友だちや先生からも「また泣いてるん?」ってよく言われてたような気がする。幼稚園の頃のわたしは、泣き虫だった。


でも、ある日わたしには泣かなかった日がある。30年経った今でも、覚えている1日があった。

「もう泣かないんだ」と決めた日。なぜそうしようと思ったのかはわからないけれど、幼いわたしなりの強い〝決意〟だった。泣いても何にもならないとわかったのかもしれない。「今日は泣くもんか」と決めて必死に折り紙を折った。

わからなくなったら先生のところへ行ってきくスタイルだったので、何度も何度も列に並んで質問した。先生に「また来たん~?」と言われながら、何回も並んだ。席に戻って、やっぱりわからなくなって胸のとこまで涙がこみ上げてくるのを必死でこらえながら、折り紙を折った。そしてなんとか、その日は泣かずに折り紙を完成させることができた。


その日の話をきいてもらったとき、不思議と涙がたくさん溢れてきた。不思議だった。自分では、そんなに重要な経験だとは思っていなかったから。

小さなわたしは、そのときちゃんと自分の人生に向き合ったんだなと思う。誰のためでもなく、自分のために。これじゃいけない、このままでは進めない。だからわたしはもう泣かないんだと決めて、行動した日。あれはまぎれもなく〝決意〟だった。自分の人生の流れは自分の行動で変わっていく。子どもも大人も、自分の人生を歩んでいるということは少しも変わらないんだなと思った。

その日の経験は、わたしの中にある泣くことの沸点を上げたらしい。小学校ではほとんど泣くことはなかった。


妹が入院していた話とは直接関係はないんだけれど、辛くても泣かない、ということに関してはこのときの経験も繋がっている気がする。それが強くなりすぎて、必要以上に我慢してしまったり、表現するのが苦手になったりしたのかはわからないけれど。



自分にとって大事な記憶に触れると、心が震えて涙が溢れてくる。まるでまさに今その経験をしているかのように。自分の中にあるフタをされた記憶が、「やっと見つけてくれた~」って勢いよく溢れ出してくるみたいだ。今まで自分の中に集めてきた、その記憶たちのフタを開けていく作業は、こわくもあるし面倒くさくもあるが、とても面白いし気持ちがいい。今まで自分を表現するのが苦手で溜め込んできたわたしだからこそ、フタをした記憶がまだまだたくさんありそうだ。気が済むまで開けまくってやろうと思う。

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