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【怪談】 ひよこしむごん

ひよこしむごん

この謎めいた言葉の意味を、みなさんは知っていますか?

……実は、私も知らなかったのです

ネット検索をしてみても、
何も引っかかりませんでした

今回は、この不思議な言葉に関係する話を
みなさんに聞いてもらいたいと思います

あれは、小学2年生の夏休みのことでした

父方のおじいさんの初盆で、何日か
田舎の家に滞在することになりました

父親の田舎は山と海に挟まれた小さな漁村で、
家は地元の漁師達を取りまとめる網元あみもとの本家でした

田舎ならではの大きな家には幾つも部屋があり、その一番奥の部屋に初盆の飾り付けがしてありました

お寺から和尚さんが来てお経を読んだり、その後親戚や雇われの漁師さん達などが一堂に会して食事をとったり、何かと大がかりだったのを
よく覚えています

夕方になると、長男である伯父さんがカンテラを手に先頭に立って、みんなで山の上の方にあるお墓に参りました

この地方の風習で、お墓の敷地内に生米と刻んだナスときゅうりを混ぜたものを万遍まんべんなくいていました

珍しそうに眺めていると、伯父さんの奥さんである伯母さんが
これは「水の子」というもので、お盆の時期には御先祖様以外にも精霊とか色んなものが出てくるので、それらに捧げる為に蒔いているのだと教えてくれました

「精霊とか……〝色んなもの〟って何?」
私が聞くと、伯母さんは急に口を濁し、
「…まあ、…色々よ」
と言うと、そそくさと他の人達のところへ行ってしまいました

家に帰ってお風呂に入り、
そろそろ子供は寝る時間です

私は年の近い従兄弟であるソウイチ君と
同じ部屋で寝ることになりました

従兄弟どうしであるといってもソウイチ君とは
日ごろほとんど接点が無く、ものごころついて
から会うのは初めてといった間柄でした

ソウイチ君は伯父さんの子供で、
お互いに男のひとりっ子ということで、
到着してから少しずつ仲良くなっていました

初めはぎこちなく牽制けんせいし合っていたものの、血の繋がった従兄弟どうしであるせいか段々と打ち解け、夜になる頃には兄弟のようになっていました

私達は、蚊張かやの釣られた部屋に布団を二つ敷いて寝せられました

蚊張というものの中で寝るのは初めてで、
テントのような秘密基地感を覚えながら
ちょっとワクワクしていました

ところがすぐに、あまり心地いいものではないということに気づきました

というのも、蚊張の中というのは独特の薄暗さがあり、
テントと違って透けている為ぼんやりと外が見えます

蚊張の向こうに見える部屋の光景は、闇の中に
何かが潜んでいるように見えて恐いのです

しかも急に風が通りぬけたりするので、
妙に不用心な感じがして不安なのでした

「ひよこしむごん」というのは、そのとき
ソウイチ君から聞いた言葉です

なかなか寝つけずにいた私がようやく
ウトウト眠りに落ちそうになっていたときでした

ソウイチ君が突然囁き声になって言いました

「ひよこしむごん」

「えっ?」

思わず言うと、いたずらっぽい声で
ソウイチ君は言いました

「ひよこしむごん! こう唱えたら、もう
朝まで声を出しちゃいけないんだよ」

何でもそれは古くから集落に伝わる風習で、
子供だけが守らなければならない戒めなのだそうです

「何だそれ? それって、子供がいつまでも起きてて騒がないように、大人が考えた作り話なんじゃないの?」

私が言うと、ソウイチ君は真剣な顔で、
「ちがうよ」
と言いました

「本当に、これを気持ちを込めて唱えた後は、たとえちょっとでも声を出すとよくないことが起こるんだよ」

そう言ったときのソウイチ君の目は、何か凄みのようなものを秘めていました

それでも私は信じませんでした    
きっとソウイチくんはよそ者の私をからかおうとして、嘘をついているのだろうと思っていました

だから私は面白半分に、ソウイチ君の後に続いて、気持ちを込めて「ひよこしむごん!」と元気よく唱え、枕元の灯りを消しました

寝苦しい蚊張の中で、何度も寝返りを打って眠ろうとしましたが、やはりどうしても寝つけません

……そうする内、なぜだかふと私の中にいたずら心が芽生えてしまいました

ソウイチ君は、既にもう眠っていました
隣ですうすう寝息を立てているソウイチ君に、
私はそっと手を伸ばしました

こちょこちょこちょ、
気持ち良さそうに夢の中にいるソウイチ君の
脇腹を、私は全力でくすぐったのです

「わあぁっ、あははははは!」
突然強い力でくすぐられて、もちろんソウイチ君は笑い声を出してしまいました

目を覚ましたソウイチ君は、黙ったままじっと
私を見つめました

その目は、恐怖に見開かれていました

今や完全に覚醒したソウイチ君は、
怯えた様子で荒い息を吐いています

震える唇から漏れ出す声に耳を澄ますと、微かに
「……が来る」
と言っているのがわかりました

ウミアガリが来る


そう聞こえた瞬間、家の外で物音がしました

ガサガサ、ズルズルッと、何かビニールか布の
ようなものを引きずるような音で、動物なのか
人なのかわかりませんが、とにかくけっこうな速さで何かが家の周りを回っているような感じでした

「あー、あぁっ!! 
 来る……
 ウミアガリが来るっ!」

ソウイチ君は、恐怖に満ちた目で一点を見つめ、そう言いました

そうする内、家じゅうでガタガタと戸や襖を開ける音が響き始め、大人達が血相を変えた様子で私達の寝ている部屋へ駆け込んできました

中でもソウイチ君の父親、私の父の兄に当たる
伯父さんが、ものすごい形相でソウイチ君のもとに駆けつけました
「ソウイチッ! お前何したんか! あげえ言うたにい、言いつけ守らんかったんかッ!!」

伯父さんは青ざめた顔で叫びながらソウイチ君の肩をつかみ、前後に揺さぶりました

でもそのときには既に、ソウイチ君は白目をむいて、顎をのけぞらせ、泡を吹いて痙攣している状態でした

家の中は騒然とし、親戚の大人達全員が悲鳴を上げたり、嗚咽おえつしながら泣いたり、両手をすりあわせてしきりに拝んだりし始めました

みんなの突然の取り乱しように、
私は恐ろしくてたまりませんでした

私はすぐにソウイチ君と引き離され、2階の別室に連れて行かれて、そこで寝るよう言われました

何があったのか聞こうとすると、ものすごい目をして「声を出すな!」と言われ、夜が明けるまで絶対に喋ってはならないと厳しく言いつけられました

別室に連れて行かれる途中、玄関の土間の前を
通った時です

私は変なものを目撃しました

それは、長い髪をした女の人のような人影が
玄関の外から覗き込み、中に入ろうと鍵のかかった戸をガタガタと揺らしているところでした

そのあまりの異様さに思わず立ちすくんでいると、廊下の先を歩いていた大人に強い力で口を塞がれました
大人は小さな声で「シーッ!」と言うと、私を抱きかかえるようにして2階へ連れて行きました

離れた別室では、何が起こっているのか全くわかりませんでしたが、私は今見たものと、大人達の異常に緊迫した様子への恐怖心から、言われた通り声を出さずずっと押し黙っていました

あれがソウイチくんが恐怖におののきながら言っていた「ウミアガリ」だったんだろうか……

そう考えると、心臓がバクバクいい始めました

下の階では、大人達の話し声や沢山の人の
うごめく物音がしていました

私は眠れずに、ずっとそれを聞いていました


それでも、いつの間にか眠っていたのでしょう
やがて朝になり、私は目を覚ましました

家の中はもう静かになっていました

私は廊下に出て、父か母はいないかと探しました
夕べ何があったのか聞かせてくれるかもしれないと思ったのです

けれど父も母も、どこに行ったのかすぐには見つからず、代わりに私が目にしたのは、大工さんが入って大きな部屋を普請ふしんしようとしているところでした

ようやく居間に父と母がいるのを見つけたとき、奥にソウイチ君が寝かせられているのが見えました

そして実を言うと、
それが私がソウイチ君を見た
最後になったのです

父と母は私を見つけると、すぐに私を車に乗せて家に帰りました

夕べ何があったのか尋ねると、ただ「ソウイチ君が病気になったのだ」と聞かされ、それ以上は何も答えてくれませんでした

そしてそれ以来、お盆の時期がl来ても、
二度と田舎の家へ行くことはありませんでした



それから何十年も経ったある日のことです
父方の実家から、ソウイチ君が亡くなったという知らせが入りました

「そうか」と言って電話を切ると、父は大きな
溜め息をつきました

不安に駆られながら、私が「ソウイチ君、どうしたの? 何で亡くなったの?」
と聞くと、

さわりだよ」
と父は答えました

「あのときお前はまだ小さかったから、出来るだけ関わらせたくなかったんだ……」

あの晩、大人達で話し合って、私を守る為に一切を教えないことに決めたのだ、と父は言いました

そして集落に伝わる恐ろしい物語を語ってくれたのですが、
それは驚くべき内容でした



父の実家のある土地には、ものすごく古い昔、
戦国時代ではないかと言われている頃から続く、ある伝承がありました

当時も今と同じように漁業を営んでいた小さな集落の浜に、ある日一艘の小舟が流れ着きました

船の中にはひとりだけ女性が倒れていて、
高価な衣装から、中国か朝鮮のお姫様では
ないかと思われました

まだ息があったので、集落の者全員で保護し、
食べ物や飲み物を与えて手厚く介抱しました

しばらく経つと、そのお姫様は回復し、
元気になったそうです

ところが、言葉が通じないため、なかなかうまくコミュニケーションが取れません

集落の人々がどうにか理解出来たのは、
お姫様は何とかして国に帰りたいのだ
ということだけでした

しかし理解したとはいえ、貧しい集落に
そのような力はありませんでした
彼らの暮らしでは、お姫様が何とか飢えずに
いられるようにしてやるのが精一杯だったのです

お互いに無力感を募らせながら過ごす内、
お姫様は癇癪かんしゃくを起こすことが多くなったそうです

少数の人間が何とかなだめようと色々やってみましたが、その努力も虚しく終わりました

そんな状態が長く続き、人々は段々と
お姫様をもてあますようになっていきました

あるとき、悪天候で不漁続きの時期があり、
集落全体で食料が不足するようになりました

そうなると、お姫様を養うだけの
余裕がなくなってきました

飢えに苦しみ始めた集落の人々は、わけもなく
お姫様に憎悪の念を向けるようになりました

そしてとうとう、みんなでお姫様を
いたぶり殺してしまったのだそうです

お姫様の亡骸は、来た時と同じ海に投げ捨てられました

でも それ以来、毎年お盆の頃になると、
怨霊と化したお姫様が海から上がってきて、
集落で一番大切で、かつ弱い子供の命を
奪っていくようになったそうです

「毎年海から上がってくるというので、
いつからかその怨霊のことを
『ウミアガリ』と呼ぶようになったそうだ

……そして、子供を守る為に、昔の人が考えたのが
ひよこしむごん』というおまじないだったんだ」

父は言いました

「ひよこしむごん」は「日起こし無言」から来ていて、
「日が昇るまで無言でいる」という意味の
言霊ことだまだそうです

子供が唱えることによって護符となり怨霊から守られるのですが、
それは逆に目印となり、居場所を知られてしまいます

護符に阻まれ手を出せないウミアガリはじっと子供が隙を見せるのを待っています

だから「ひよこしむごん」を唱えた子供は、朝になるまで声を出さず気配を消していなければならないということでした

それを守れず夜中に声を出してしまった子供は、魂をウミアガリに持って行かれ、体は生きているものの抜け殻のようになってしまうのだそうです

しかも怨霊の呪いに触れている為、周りに害を及ぼさぬよう隔離されなければならないということでした

あの朝私が見た大工さんは、ソウイチ君の為の
特別な部屋を作る算段をしていたのです

「厳しく言いつけられて育ったはずなのに、なぜだかあの日、ソウイチ君は夜中に声を出してしまったようなんだ
それで本当に、怨霊に魂を持っていかれてしまったらしい」
父は言いました

私は自分のしてしまったことの重大さを知り、
泣き出してしまいました
「ひよこしむごん」の戒めを破ることは、絶対にしてはいけないことだったのです

私は父にあの晩のことを全て話しました
父は驚いて肩を落としましたが、何とか気を取り直して実家と連絡を取ってくれました

電話口には伯母さんが出て、私が全てを告白し、謝罪すると、
「やっぱりそうやったかね…」
と、力のない声で言いました

「そんなことやないかとずっと思うとった…ソウイチが夜中に声を出すなんて、考えられんことやけえね」

あの日お墓で私が質問したとき、ウミアガリのことをきちんと言って聞かせれば良かった、と伯母さんは悔しそうに言いました

でも驚いたことに、伯母さんは私を責めませんでした
ウミアガリに連れて行かれたのはソウイチ君だけではなく、集落では数年に一度は生け贄のように子供の魂が奪われるのだそうです

「どう気をつけとっても連れて行かれるときは連れて行かれる……
あんたがしたことも、ウミアガリがさせたことやったかもしれん」
伯母さんはそんなことを言うのでした

ソウイチ君は、あれからずっと隔離部屋で過ごし、亡くなるまで一度も正気に戻ることはなかったそうです

ソウイチ君の弔いに行きたいという私の申し出を、伯母さんは優しく受け入れてくれました


父と供に、私は何十年かぶりにあの家を訪ねました

お墓と仏壇に参った後、私はソウイチ君のいた部屋を見せて欲しいと頼み、
許されてそこに足を踏み入れました

上方に小さな窓が開いただけの開かずの間で、
ソウイチ君は何を思い、長い年月を過ごしていたのでしょうか……

本当に申し訳ないことをしてしまったという気持ちで一杯で、私は涙を浮かべながら改めてソウイチ君に手を合わせました


……その時、私の頭の中に変な映像が浮かんできました

海中からゴボゴボと泡を吐きながら何か、、が上がってくる映像です

それ、、は赤い洞窟のようなトンネルを通り、どんどんこちらへ近づいてきます

それ、、が顔を上げると、海の底で朽ちた、腐りかけの女の顔が見えました

高価な装飾の衣装を身にまとっている……

大昔この集落に流れ着いたお姫様だ

そう思いました

元はお姫様だった怨霊が、つぶれた声で言いました

「コイツモ……」

すると
それに呼応するかのように、子供だった頃の
ソウイチ君の声がしました


同じように、死んで朽ちた
腐りかけの顔をして


「ずっと待ってたんだよぉ」

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