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AIの進歩は人間を後退させる?

IT、機械は私たちを豊かにしてくれるのだろうか。それとも私たちを堕落させていくのだろうか。

科学技術が進歩して便利なものが巷には溢れかえり、ネットを検索すれば、欲しいものはある程度何でも買える時代になっている今。

自動で認識して調節するもの。声を認識してその行動を代わりに行うもの。一見するととても便利な世の中になっている。ソファーに座っていれば、そこから一歩も動かずとも一日生活していける位にまで。わざわざ自分の手を足を、使わずとも機械が、ロボットが代わりにその作業、行動を行ってくれている。

技術の進歩によって、今までできなかったことが飛躍的に、できることへと変わり、タッチ1つでこなせるものはさらに増えていくだろう。

何かが進歩するときには、その逆にあるものは退化していく。

人間が何かを作り出す時、自然は反比例するように面積を減らしていくし、デジタルのものが増えれば、マニュアルのものはその分減っていく。

そしてITが大きく普及している今、今まで全て人間がやっていたものは機械に、AIによってその活躍の場を減少させている。今後さらに多くのロボット、AIが人間がやっていたことを代わりにやってくれる時代になっていくだろう。

その時、便利で使い勝手の良いロボットに全てを任せたとしたら、人間は何を日常で行う事になるだろうか。電気を点けるのも、エアコンの温度調整もお湯を沸かすのも、一歩も足を動かさなくてもやってくれる時、その空いた時間を人間は何に使うようになるのだろう。その空いた時間で、世の中をどうにかしていこうと、なにか生産的なものを産み出すのか、自分の娯楽にあてるのか、スマホに向き合う時間を長くするのか。

人間はその時、今よりも身体を動かす時間が増えるのだろうか。物事を考える時間が増えるのだろうか。家族と話をする時間を増やすだろうか。

今まで、自分でやってきた事を一つ一つ手放していくとき、大切なものを失っていく。手放した事の代わりに、何を自分は獲得するかで大きく変わっていく。自分をより向上させていければ良いが、逆に、堕落させていくような道もある。本当にそれを手放して良いかを判断する必要は大いにあるだろう。

身体を動かす時間が少なくなれば、身体の衰えは早くなるし、あれをやるこれをやるということが減れば、どんどんと思考する脳は衰えていく。何時だからあれをしなきゃという行動をロボットが代わりにやってくれるのが当たり前になった時、人間はそういった思考は頭の中から消えていく。不要な意識として。

便利だと思うものが広がっていくということは、逆に人間を退化させていくということにもなっていく。今後、人間は身体を必要とせず、脳だけで生きる時代になるかもしれない。他人とも触れず、ソーシャルディスタンス。応対は全てAI、ロボット。画面を通して相手と会話をする。そこに映っているいるのが人間か、ロボットか関係あるのだろうか。

技術は自分ではどうしてもできない人にとっては、とても便利なもの。今までできなかったことを可能にしてくれる、世界を大きく広げてくれる素晴らしいもの。

でも、自分の手で、足で出来る人が使ったら、それは今まで自分でできてやっていたことを維持すらしなくなっていく。可能としていたものを不要にするのだ。すぐにではないにしろ、時間をかけて削っていく。いつの間にか自分が今までやっていたことをやらなくなっていることにも気づかぬまま。

そうやって、社会は知らず知らずのうちに人間をそういう方向に行くように促しているのかもしれない。

そうなるときには、自分自身が、周りに流されず、自分の足で立って、自分の脳でよく考え、自分で意識してこの世の中に立っていないと、すぐにでもあちらの世界からの誘惑は目の前であなたが来るのを待っている。

両手を広げ、その手にはとても素晴らしい、あなたが欲しいと思うようなものを褒美として持っている。これをあげるからどうぞこっちへいらっしゃいと言わんばかりに。

ただ、社会情勢、周りに流されていたら、自分の知らない内にその世界へと入っていくだろう。一度入ったら自分の足で元の世界に戻ることはできないだろう。そのとき既にあなたの頭の中にはもとの世界はないのだから。

いかに意識して今の現代を生き、そして進んでいくのか、常に考える頭を持っている内に自分を獲得しておく必要があるのだろう。

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