人生の冒険者

人生を通して、世の中の在り方、真実とは何なのかを追求していく。

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最近の記事

天才を守ることは世界を救う

天才の考えていることを凡人には理解できないのだろうか。 周りの人とは、考えている視点、行動、対象が全く異なる。 凡人からすれば、聞いても理解できないこと、意味のわからないことは頭がシャットアウトしてなにも理解しようとしないし、聞こうとしない。自分の思考の中だけで、わからない、意味不明となり、変な事を言う人という感じでしか天才をみない。周りにありふれている自分の共感できるものにはすぐに飛びつくのに、じっくりと頭で考え、物事の奥深く、真相に辿り着くようなことには目もくれない。

    • 目に映る世界は洞窟の中

      自分の目の前に見えてる世界は誰が作った世界なのだろうか。 他人?親?社会?それとも自分? 昨日まで見ていた目の前の景色が、今日になったら大きくその姿を変えていたという経験をしたことがあるだろうか。 今まで見ていた景色はそれまで、自分が認識していた世界。自分の認識が180度変わった時、その今まで見えていた景色は死んでいたことを知る。死んでいたモノクロの景色が命を吹き返し、その景色に色があったことを知り、そして今の今まで、自分自らも死んでいたことを知る。 外の世界が大きく

      • 今の仕事満足してる?

        今は時代の変化とともに生活スタイル、就職、仕事の捉え方も変わってきている。転職をするのも、新しい仕事を立ち上げるのも自由。 少し昔は1つの職業、会社に入ったらそこで定年まで働く事が一般的であり、長く同じ状況下で働く事を良しとしてきた。 安定した収入、年齢と共に伸びていく給料、地位。その中で家族を養い、子供を大学に行かせ、定年になったら、お疲れ様!!今までどうもありがとう。そういって人生は過ぎていく。それで、あとはのんびりで良かった人もいれば、趣味に没頭し楽しんでいる人、仕

        • AIの進歩は人間を後退させる?

          IT、機械は私たちを豊かにしてくれるのだろうか。それとも私たちを堕落させていくのだろうか。 科学技術が進歩して便利なものが巷には溢れかえり、ネットを検索すれば、欲しいものはある程度何でも買える時代になっている今。 自動で認識して調節するもの。声を認識してその行動を代わりに行うもの。一見するととても便利な世の中になっている。ソファーに座っていれば、そこから一歩も動かずとも一日生活していける位にまで。わざわざ自分の手を足を、使わずとも機械が、ロボットが代わりにその作業、行動を

        天才を守ることは世界を救う

          あなたはどちらを選びますか?

          お金をとって読んでもらう記事を書くのか、それとも無償で提供してその対価を本当によかったといって相手が与えたくなるような記事を書くのか。 お金を稼ぐことに焦点を当てるのか、それとも自分に幸福感を感じる事に焦点を当てるのか。 お金に扱われる人間になるのか、それともお金を扱う人間になるのか。 人に読んでもらいたいから記事を書くのか、それとも自分の創造性を表現する為に記事を書くのか。 共感の為に必死にネタを作るのか、それとも新しいものを生み出す為に文章を書くのか。 大多数の

          あなたはどちらを選びますか?

          自分を知るという冒険

          自分は何でできているのか、あなたは知っていますか。 普段あまり考えないかもしれないが、自分の性質、特質、癖がどういったものであるのか、どうしてそういったものを持ったのか等、考えた事はあるだろうか。 製品を作るとき、そこには一つ一つの部品があり、そのどれもが必要な役割を成して組み合わさり構成されて、1つの製品というものが出来上がっている。適当なものを合わせて役割がなにもないもの、わからないものをその中に組み込むということはしないだろう。料理を作るときにもわけのわからない調味

          自分を知るという冒険

          自分の性格のルーツはどこにあるのか

          これは一人の女性の一つの性格のお話。 今”私”は成人して会社で働いているが、あまり感情は表に出さない。 何故だろう? それは私がまだ小さい頃のお話 家でお父さん、お母さん、妹、そしておばあちゃんと住んでいた。 おばあちゃんは時々いきなり泣いたり、怒ったりする。 今思うと、少し精神不安定だったのかなと思う。でも、子供の私にはそんなことわからない。 時々、発作のようにいきなり泣いたり、怒ったり。私は何が起こったのかわからず、心配になる。そうすると決まってお母さんが、

          自分の性格のルーツはどこにあるのか

          季節の移り変わりと人間の生き方

          自然の木というものは、毎年成長する 春には芽吹き、花を咲かせ、黄緑の葉が出てくる 夏には葉の色が一段と濃くなり、どっしりと存在感を増す 秋には葉を赤や黄色に色を変え、自分の存在をアピールし 冬には、身につけた葉を落とし衣を脱ぎ捨てる 一年が終わる頃には去年よりも成長していて背丈が伸びている そしてまた、春を迎え、夏を過ごし、秋を楽しみ、冬を迎える 毎年同じ様にそれを繰り返して 1年、5年、10年と月日が経つにつれ どんどん見える景色は変わっていく 広く、遠

          季節の移り変わりと人間の生き方

          他人の為に必死で生きてきた人へ

          他人の為に必死で生きてきた人へ あなたはこれまでずっと自分以外の他人(第三者)の理想、希望、期待となって生きてきた。いつでも第三者から求められ、自身の作り出せる最高の状態で相手に接して来た。ずーっと緊張し続けてきた。いつでも他人の理想、希望、期待を受け、必死で生きてきた。 でもね、あなたにはあなたの人生がある。生き方がある。自分以外の誰かの理想や希望になる必要なんてない。これまでよくがんばってきた。外部の希望や期待から逃げることなく答えてきた。 でも、もうそうした役目は

          他人の為に必死で生きてきた人へ

          真実を見つけ出せ!

          今はお金にもなってないし、社会にも帰属していない離れた場所にいる。 でもそこで、言葉を書き続ける人がいる。ただ、ひたすら真実を。 その言葉、文章はただ、読む人の心に入っていく。そこに良いも悪いもない。あるのは真実だけ。評価するものでも、されるものでもない。事実だから。 だけど、人は自分の解釈の範疇で物事を判断して、その目の前の言葉を自分の解釈に置き換え、飲み込もうとする。その情報が本当のことだと解釈できるのか、はたまた、危機、不安を煽っているように感じるのか、未来の話を

          真実を見つけ出せ!

          価値、行動、思考の分岐点

          この状況下で何を考え、行動するか 緊急事態宣言も一か月程延長されそうという見解が出ている中、自粛疲れやコロナうつ等の言葉も溢れている。 その中で、今までと違う生活を送る事になっているが、この期間をどう生き、なにを考えるかで、このあとの人生も大きく変わってくることになるだろう。 子供はずっと家にいて、やることがないから、ゲームを与えていたり、動画配信を見せていたり、親としてはそのある時間をどう切り抜けるか必死に考えているかもしれない。または、このある時間を使って、子供が本

          価値、行動、思考の分岐点

          ネガティブを締め出す心

          よくネガティブな事は考えたり、見たり、聞いたりしないで、ポジティブに生きようって言うけど、それって自分に都合が悪いことから、目を逸らしてるだけじゃないの? 確かに脳に悪影響を及ぼすものだったり、害のあるものならそれは見なくてもいいとは思う。でも、自分に都合の悪いものを見ないで、知らないふりして、目を逸らす事は違うような気がする。 よく、相手から、あなたってこういう所がいけないとか、自分が落ち込むような事言われたりだとかすることをネガティブな事だから、聞かないように、見ない

          ネガティブを締め出す心

          外に逃げる事は簡単。でも内側を見続ける事は困難。それってどういうこと?

          どうして家にいられないの? 緊急事態宣言で、花見に行けない、友達と遊べない、ご飯食べに行けない、そういった声が多く聞こえてくる。その中でも空いている所を探しては出かける人達も多くいる。逆に人が少ないなら旅行行っても大丈夫でしょなんて人もいる。 どうして人は外に出てストレスを発散させなければいられないの? 家にいるとなにもすることがない、一人でなにかをすることができない、だから外のものに頼って人は家を出る。そこで一時的にストレス発散した気になっているが、それは一時しのぎ。

          外に逃げる事は簡単。でも内側を見続ける事は困難。それってどういうこと?

          結果重視の人、その心の奥には

          よく、男の人は結果を褒めてあげる、女の人は過程を褒めてあげるといった言葉を聞くが、社会の中にいれば、どうしても結果優先になってくる。 そこで、どういう人が結果重視でどういう人が過程重視なのかという疑問が湧く。 今までの生活環境で、どちらに比重を置いて育てられてきたかによっても、その後自分が結果と過程どちらを褒めるのかも変わってくるし、受け取り手もどちらを褒められると嬉しいのかも変わってくるとは思う。 結果重視の人は過程をいくら褒められても結果が良くなければダメだと思うか

          結果重視の人、その心の奥には

          身につけるか脱ぎ捨てるか

          自分になにかを身につけてそれを自分とするか、それともそのありのままを自分とするか。どちらを選択するかは自由。 今までの世間の在り方、社会の在り方からすると、学校で勉強して国から出された教育範囲の知識を身につける。そして社会人になって、その仕事に対する資格を取り、社会を生きて行く上でマナーを身につけ、元から自分に備わっているものというより、会社が、社会が求めているもの、これがあれば評価される、そういったものを自分の身につけていく。 そうやって、多くの物を自分の身に張り付けて

          身につけるか脱ぎ捨てるか

          頭で理解する事と物事の本質を理解する事は別物

          よく本を読んだり人から聞いて、知識を積んでる人がいる。沢山の情報を頭の中にインプットして、それで物事とはこういうことだといった形で周りの人に自分の理解をアピールする。 でも、実際問題その人はその知識を持っているだけで、経験したり、体験したりすることはない。百聞は一見に如かずという言葉があるが、まさにその通りで、頭で理解しようとする人が、物事の構造や成り立ちを、本で100回読んで、他人から100回聞いたところで、なにかの形で物事の本質に触れる体験を1度でもしたことのある人から

          頭で理解する事と物事の本質を理解する事は別物