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外に逃げる事は簡単。でも内側を見続ける事は困難。それってどういうこと?

どうして家にいられないの?

緊急事態宣言で、花見に行けない、友達と遊べない、ご飯食べに行けない、そういった声が多く聞こえてくる。その中でも空いている所を探しては出かける人達も多くいる。逆に人が少ないなら旅行行っても大丈夫でしょなんて人もいる。

どうして人は外に出てストレスを発散させなければいられないの?

家にいるとなにもすることがない、一人でなにかをすることができない、だから外のものに頼って人は家を出る。そこで一時的にストレス発散した気になっているが、それは一時しのぎ。また、家でじっとしているとストレスは溜まってくる。どうしてそれが、ストレスになるのか答えられる?

自分というものを見ようとしない、知りたくない。だからこそ外に逃げて、自分のことは見ない。友達と遊ぶ、楽しいから?そういって、自分というものから逃げてるんじゃないの?お酒を飲んで、嫌な事は忘れる。自分と向き合いたくないから?それも逃げる手段。そうやって見ていくと、外になにかを求めて出て行くことは逃げる為の意味付けのようなものだと知る。

でも、なかなか外出できなくなっている今、家の中にはなにがあるの?一番近くに自分はいる。今までは外の物ばかり見ていたけれど、外のものを見れないなら、自分をみてごらんよ。常に、どこにいたって何をするにだっていつも離れないもの、なくならないもの、それって自分じゃん。いつも一番近くにあるからこそなにも見ていない、知らない。それが自分。自分の目は外を見てるから、自分は見えない、自分というものはなにもので、どういう人間なのか。きちんと答えられる?

友達と遊ぶのが好きな社交的なのが自分?他の人にあれが上手いね、これすごいねって褒められて、あなたはこういう人、こういう性格だねって言われたそれが自分?俺はこういう人間だって言ってそれを自分として認識して見ている。でもそれが本当?心の奥底では寂しいから外に友達と遊びにいってない?みんなが言うからとりあえずそれを自分としてない?それ以上でも以下でもなく、それを自分だって言える根拠があるの?

こういう時だからこそ、一人でいる時間を大事にして、自分ていうものを見つめ直す時間にしてみたら?

そんなこと言ってもいつも外ばかりみている人にとってはやり方もわからないし、そんなもの見る必要があるなんて思ってもいないだろうけど。見たくないから今まで外に逃げていた訳で、今更、自分のこと見つめるなんてできない。そんな弱さを自覚する勇気すらもどこかへ置いてきてしまったのだろうか。

でもこの記事を読んでいる人は、きっと少し自分というものに向き合おうとしているだろう。

そういうことを大切にしている人はいつか、自分の眠っている才能、知らない一面そういうものが見えてくる日が来るかもしれない。

見つめてる気になっている人は多くいても、本当に見ている人はごく僅か。人間は誰でも自分に都合よく物事を正当化、合理化してみているから、私は自分のこと見ていると言ってもいざ、問いを投げかけたら、意外に何も答えられない人がよくいる。それって何もわかってない証拠。自分の夢はなんなのか。あったとしてもその夢はどういう感情のもと湧いてきたものなのか。追求していくと、なんでそれを夢だといっていたのか、曖昧になってきて自分でもなにが夢だかわからなくなる。それだけ、何も自分というものを知らないのだ。

そういった一つ一つの答えを知っていくことが、内側を見るということのひとつだろう。自分自身をずっと見続けていられるだけの忍耐力、精神力、そして自分と向き合う力。それを持って、自分の内側を冒険する勇気がありますか。

これから先、多くのものが淘汰され、本当に必要なものだけが残っていく時代が近づいてくるだろう。いつまでも外のものばかりを追っていたら、いつか耐えられなくなる。そんな時代はこない、そう思っている人は、今のまま同じように生きることを選択していけばいい。でも必ず、自分とはなんなのか、その答えが必要となってくる。すぐに答えがわからなくてもいい。その答えを探そうとする意思、決意そして行動が今求められている。

完全に時代が変化するそれまでに、少しずつでも自分というものを正しく認識して、外のものに頼らず、自分自身に生きる価値を持つことがとても重要になってくる。その答えが、いつか来る時代で、自分を救う大きな力になるのだから。

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