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自分の性格のルーツはどこにあるのか


これは一人の女性の一つの性格のお話。

今”私”は成人して会社で働いているが、あまり感情は表に出さない。

何故だろう?

それは私がまだ小さい頃のお話

家でお父さん、お母さん、妹、そしておばあちゃんと住んでいた。

おばあちゃんは時々いきなり泣いたり、怒ったりする。

今思うと、少し精神不安定だったのかなと思う。でも、子供の私にはそんなことわからない。

時々、発作のようにいきなり泣いたり、怒ったり。私は何が起こったのかわからず、心配になる。そうすると決まってお母さんが、二階に上がっていなさいと言って、私たち子供をその場から引き離す。はっきりした説明もないままに言われた通りに二階にいく。妹はその状況が嫌だと言って奥の部屋にこもっている。が、私は階段からこっそりその様子をうかがってその会話を聞いている。

そうすると、おばあちゃんが私には何もしてくれないだとか、冷たい態度を取っているとかそういった事を泣きながら話している。お父さんが面倒くさそうになだめていたり、お母さんがそれについて反論したりしている。しっかりとは会話は聞き取れないが、子供ながらに、家族の中の不和を察知する。

1時間ほどすると、お母さんが二階に上がってくるが、どうしてそうなっているのか、何が起こったのか聞いても言葉を濁され、答えてくれない。何度も聞いてみるが、その都度曖昧なままで終わってしまう。

何回もそういった状況があると、子供ながらに聞いてはいけない事なんだと思ってくる。いちいち聞くと、お母さんは不機嫌な顔になる為、聞く事は母親に悪いことをしているんだと思う自分がいつのまにかいるようになった。

私はお母さんのことが好きだから、聞かないことで自分なりにお母さんを傷つけないよう守ろうとしていた。

その結果、聞くという事は相手から言いたくない事を引き出そうとしているような気がしていた。

だから、いろいろな事が起こるたびに、自分で解決するようになっていった。

お母さんが嫌な顔をするときは、苦しんでいるから、自分のことで相手を苦しめたくない。自分の問題は持たない様にする。相手に自分の問題を渡してはいけないと。そうすることで、お母さんが喜ぶと思ったから。

お母さんからしたら、自分のことをあーだのこーだの主張するような感情を表に出すおばあちゃんは嫌い。強く主張するという行為はおばあちゃんと同じことをするということだから、自分も同じようにすると、私もお母さんに嫌われるんじゃないかって。

そういう思いから、今の私は自分の感情を表に出している人をどこかで否定している。感情を表に出すことはよくない事だと思っているから。

そういった経験が、私自身の今に繋がっている。社会に出て親元を離れていても、泣いたり、怒ったりする感情をあまり表に出さない。人に迷惑がかかるし、嫌われるんじゃないかって。人にはあんまり、感情がない人だと言われたりもする。そう言われる事にも自分の中では苦しんでいる。

どうしたら感情というものを私は出せるのかと。でも、その答えがわからず今もこの社会の中で彷徨いながら、生きている。


例として、一人の女性の性格の一部を簡単に説明してみたが、そういった人格形成はだいたい小さい頃の親の子供への接し方、環境等が起因して、人間の人格形成が成される。このお話の”私”は小さい頃、母親、そして自分自身の心を守ろうとして、物事を合理化、正当化してきた。その結果、感情という人間にとって大事なものを心の中に閉じ込めるようになった。でも、閉じ込めたからといって、本当にそういう感情がなにもない訳ではない。自分の見えない心という場所に沢山閉じ込めて蓋をしているだけ。

この話では小さい頃のどういった状況が人格に結びついているかも書いてはいるが、通常はその理由もわからないことが多い。長い年月をかけ、いつの間にか自分の性格だと認識し、それの原因もわからず苦しんだり、何も気にせず生きている事が殆どだろう。

このお話の”私”は気づいていないかもしれないが、我慢して必死に抑え込んできた怒り、悲しみはいつか、その勢いを何倍にも大きくして、表に出てくるだろう。それは、この話の中の”私”が結婚して、夫と暮らす様になってからかもしれない。自分が嫌だと思って向き合ってこなかった自分自身の感情は、その形を変え、必ず出てくる。似たような場面に遭遇した時か何かでフラッシュバックを起した時か。一度表に出れば、何度も何度も。

その時々で、じっくり自分の感情に向き合っていけるのなら、少しずつ解放されてはいくだろう。だけど、逃げてきた感情に向き合うという事は簡単ではない。向き合えていたらそんな人格にはなっていないのだから。

今の性格、人格が何故あるのか、どうしてそのなったのかのルーツは誰にでも自分の中にある。でも、見たくないからこそ、人間は心に蓋をする。それをわざわざ掘り起こすなんてことは余程の事がない限りすることはない。軽くしてみた所で掘った気になったり、これが答えだと、また都合のいい解釈で終わったり。だから、人間の人格、性格が180度変わるなんてことはそうそうない。一生あの人はこういう人だと見ている見方はほとんど変わらない。

だが、もし、自分の心の中を掘り起こし、見たくない自分の感情と向き合いその抑圧した感情に光を当てる事が出来た時には、人間の人格、性格は本来、自分が持っているものへと変わっていくだろう。自分の眠っている力にも気づくことができるようになっていく。その力は自分にとってかけがえのないものとしてとても大きな財産になる。外の世界ではなく、自分の内側に一番の宝が眠っている。その宝は自分以外の人には決して見つける事はできないのだ。


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