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#聖霊
なぜ私たちには聖霊やイエスが必要なのでしょうか?
コースの独特な言い回し表現について真理に至るために、神との合一に至るために、そのためのスピリチュアリティ(霊性の道)をいわゆる一元論のスピリチュアリティあるいは非二元のスピリチュアリティと呼んでいます。
そして、そのようなスピリチュアリティは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)以外にもたくさん存在しているといえます。
そういう意味では、コースはたくさんある一元論あるいは非二元のスピリ
自我か?聖霊か?その選択について私たちが理解しておかなければならない重要なこと
あくまでも神話であることを忘れないことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において私たちは、
自我か?聖霊か?
その選択の訓練をしていくことが求められているわけですが、
ここで私たちが理解しておかなければならない重要なことがあるといえます。
つまり、私たちがわきまえておかなければならないのは、自我(幻想)を実在化させてしまっているからこそ、その訂正である「聖霊」という概念があり
イエス/聖霊の役割とガイダンスについて
イエスは私たちをどのように見ているのか?イエス/聖霊はこの世界の中の私たちをどのように見ているのでしょう?
というならば、
イエス/聖霊は個々のパーソナリティについてなど一切気にかけていない、
といえましょう。
というのも、イエス/聖霊は、そもそもこの世界の中の登場人物もすべて実在していない、つまり、世界まるごとが夢(無)であると知っているわけです。
個々のパーソナリティは夢のキャラクタ
私たちにとって、なぜイエスや聖霊が必要なのでしょう?
自分は自我である、狂気であるという自覚コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を通して何を学んでいるのか?
というなら、
私たちコース学習者は、
自我の思考体系がいかに狂っているか!
そして、
その狂った思考体系と自分は同一化してしまっている!
ということを自覚/認識していくためにコースを学んでいるのだと言うことができましょう。
実際に、コースを学んでいくことによって、この自分は自我の
目覚めはいつか漠然と魔法のように訪れるのではない
そこには確実な階梯があるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が浅い段階においては、まだ学びの階梯が見えていないので、漠然としたコースの学びと実践をしてしまうのは仕方ないことです。
でも、コースの学びが深まっていくならば、学びの階梯が見えてくるだけでなく、その学びと実践はより明瞭なものになっていくと言うことができます。
私たちが気をつけなければならないのは、漠然とし