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イエス/聖霊の役割とガイダンスについて

イエスは私たちをどのように見ているのか?

イエス/聖霊はこの世界の中の私たちをどのように見ているのでしょう?

というならば、

イエス/聖霊は個々のパーソナリティについてなど一切気にかけていない、

といえましょう。

というのも、イエス/聖霊は、そもそもこの世界の中の登場人物もすべて実在していない、つまり、世界まるごとが無であると知っているわけです。

個々のパーソナリティは夢のキャラクター(登場人物)にしかすぎないことを知っているということです。

ですから、その夢の中のキャラクターに語りかけたりなどするわけがありません。

イエス/聖霊が語りかけているのは、この世界の夢を見ている主体である「心」の自分に語りかけているのだということです。

そのようなことは、よくよくまともに考えるならば分かることですが、私たちは自分自身のことを個人の肉体だと信じているので、私たちはいとも簡単にその混同を起こすわけです。

つまり、イエス/聖霊がガイダンスをするとしたなら、語りかけているその相手は心の「あなた」なわけです。

それとまったく同様に、

私たちがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の三部作を読むときも、誰に語りかけているのか?

というなら、個人の「あなた」ではないということです。

であるにもかかわらず、つい私たちは混同を起こしてしまうといえます。

そう、個人(肉体)の自分に語りかけていると勘違いするわけです。

でも、コースの三部作で書かれている「あなた」とは、個人(肉体)のあなたではありません。

そうではなく、その「あなた」とは、個を超えた一なる心の自分なのです。

とはいえ、そのようなことは、よほどコース形而上学を理解していかないと分かってこないことであって、コースの学びが浅い段階においては、たしかに間違った受け取り方をしてしまうのは仕方のないことだといえましょう。

ですが、コースの学びの階梯を上っていきたいのであれば、心の自分、つまり、「夢見ている者」の自分を自覚/認識していくことが必須であるということを覚えておきましょう。

そうでないかぎり、いくらコースを学んでいったとしても、学びの階梯を上っていくことはないどころか、階梯の一番下に留まったままになってしまいかねないといえます。

学びの階梯を上っていくためには、まずコースでいう「心」の概念を理解することが必須ですし、実際に実践を通してその「心」の自分を自覚/認識していくことだということです。

ようするに、そうなっていくためのしっかりとしたコース形而上学の理解が必須であるということです。

私たちが覚えておかなければならないのは、コースのイエスが語りかけている相手は、個人の自分ではないということです。

イエス/聖霊は夢のキャラクターには語りかけたりしないということです。

語りかけるとするなら、その夢を作り出した「夢を見ている者」の自分のほう、つまり、心の自分(心の決断の主体)に語りかけているということです。

ですから、当然、この世界の中で私たちがどう行動すればいいか?ということについて、イエスや聖霊は語ってなどいないのは明らかです。

コースのイエスは、この世界の中で私たちがどう行動するか?については気にかけてはいないということです。

というのも、夢の主人公が何をしようがしまいが、所詮、それが夢だと分かっているわけですから。

それがどんな夢であろうと、夢の中の出来事がどんなものであろうと、イエス/聖霊は、所詮、夢は夢であることを知っています。

イエス/聖霊が私たちに求めているのは、私たちがこの夢(この世界)から目覚めることだけです。

私たちが目覚めることだけを望むようになるために、そして目覚めること以外はもう望まないようになるために、イエス/聖霊は私たちを導いてくれているわけです。


救済に携わる私の兄弟たちよ、私の声を聞き損じることなく、私の言葉に耳を傾けなさい。私はあなた自身の解放以外に何も求めてはいない。(T-31.Ⅷ.8:1-2)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちが理解しておかねばならないことは、イエス/聖霊は私たちに「この夢の中の登場人物たちを救済しなさい」とか、「夢の中の登場人物のために行動しなさい」などとはけっして云ったりしないということです。

ときどき、「イエスのお告げがあった」とか「聖霊が私にこう云ってきた」とか、それを聖霊のガイダンスとして受け取ったつもりになって行動、活動しているコース・ティーチャーやコース学習者がおられたりします。

それがどういうことなのか?というなら、ただこの世界の実在性を強化しているだけで、特別性、個人性を保持しようとしていること以外の何ものでもありません。

たとえ聖霊のガイダンスを受け取ったとしても、その自分はこの夢の中に居るわけではありません。

ならば、彼らがガイダンスしてくれている内容は、次のような内容なはずです。

「すべてはあなたが見たくて見ている夢であって、それは真実ではありません!夢だと気づきなさい!」と。

この世界の夢の中で行動、活動している者(自分)は、たんなる夢の主人公でしかないのです。

夢の主人公のこの世界での行動は、すでに書かれたシナリオどおりにただ動いている(起きている)だけということを知っておくと良いでしょう。

私たちは、夢の中のそれぞれの登場人物と同一化しているだけで、それぞれの主人公のストーリーをあたかも自分自身であるかのように体験しているだけなのです。

自分はこの世界の中にはいません。

真の自己(本当の自分)はこの世界に属するものではありません。

本当の自分は、この世界の夢の外側、つまり、この時空の外側にいて、そこからこの世界の夢を眺めています。

この世界の夢を見ているその「夢を見ている者」こそが、真のアイデンティティーです。

その真のアイデンティティー(真の自己)を思い出していくことが、この世界の中にいる私たちの唯一の機能なのです。

それがコース学習者の私たちに求めらていることであるわけです。

そのためだけに、イエス/聖霊は私たちを導いてくれているということを忘れないようにしましょう。


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