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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2021年11月の記事一覧

「自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直す」という実践について

「自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直す」という実践について

なぜ私たちは聖霊の教師が必要なのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えが理解されるようになると、自分はすでに自我と同一化してしまっていることが認識されるようになっていきます。

ようするに、自分は自我になってしまっていることを自覚するようになるということです。

そして、自分は自我であるということだけでなく、その自分(自我の思考体系と同一化している自分)の狂気性も認識するようになりま

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この世界がどういうものなのか?を私たちは悟らなければならない

この世界がどういうものなのか?を私たちは悟らなければならない

この世界のすべての道の真の不毛さを理解する非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティと言いましても、非二元というものに、結構、惑わされている人も多いのではないでしょうか。

たとえば、

「この世界は幻想(夢)なのだから、どうせならこの夢を楽しみましょう、遊びましょう、、、」

というようなことを云っているノンデュアリストもおられたりします。

その意味は、「幻想は幻想でも、より良い幻想に、楽

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この「私」もいないのです

この「私」もいないのです

想念はその源を離れないコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で「想念はその源を離れない」という概念がよく出てきます。

それは、原因と結果は離れないということを意味します。

この世界においていえば、外側には何もないということです。

外側に知覚しているものは、心の内側にあるものだということです。

つまり、「私」が外側の世界に知覚しているものはすべて、この「私」の内側で実在化させているも

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このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である

このコースを学ぶには、あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要である


自分は分かっている自分が誰なのか?について、そして、この世界がどういうものなのか?について、私たちは「自分は分かっている」「自分は知っている」と思っています。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から言えば、この「自分は分かっている」「自分は知っている」と思っていることが、自分たちをまったくの無知(狂気)の状態にしているのだということです。

自分が知覚しているもの、思考しているも

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自分たち自身が作り出した夢の中の自分についての物語

自分たち自身が作り出した夢の中の自分についての物語


この世界の夢の奴隷となってしまっている自分たちこれは私たちみんなに共通する自作自演の奴隷の物語です。

私は生まれながらにして奴隷の身である。

奴隷である私にはまるで自由がない。

むしろ、奴隷としていつも虐げられてばかりだ。

それでも奴隷である私は主人(支配人)に仕えていくしか生きる術がないのだ。

主人(支配人)に反逆したとして、さらにひどい仕打ちを受けるだけだ。

主人(支配人)から逃

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