限りなく幸福に近いブルース


井戸神を初めて見たのは閉鎖病棟の喫煙室だった。喫煙室はテレビのある食事ルームに併設してあり、ナースステーションからも丸見えの造りになっていた。わたしはどうしようもないそわそわ感で食事ルームに置いてあるお茶を求めて病室から歩いて来た。なんでもない日だった。ゆるく進むただの入院生活。ぬるいお茶でも飲んで気分転換だ!クルッ!わたしはお茶をついだコップを両手で持って振り返った。
目の前の喫煙室の中がばっちり見えた。人間の様なものがだるそうに地べたに座り、どこでもないどこかを眺めながら、ゆっくりと煙草をふかしていた。喫煙室の前には全員背格好が似てる男性看護師4人が腕組みをしてその様子を見守っていた。これは一瞬の出来事だった。ガラスを隔てた目の前にいるのは男だった。凄みのある雰囲気がわたしの身体をこわばらせ、ひゃーっと声が出そうになるのをこらえた。目が合ってしまった気がして怖くて怖くて「やば。」と出た。髪長くなかった?なんか髭も生えてなかった?わたし後ろから飛び蹴りとかして殺されるのかな?ほら、だってここ閉鎖病棟だよ?やば。
わたしは小走りでその場をあとにした。その日からその男、井戸神の追っかけをして日々を過ごし始めた。井戸神が病室で身体をくねくねさせてダンスをしていると「いよいよ発作が出たか!」と心配し、井戸神が売店でほんの少し駄菓子を買ってるのを見ると「節制してるのかな。もっと食べて元気出して!」と心配し、井戸神が女の患者と話してると「付き合っちゃうのかな!」と心配した。これだけ心配してれば井戸神のファンになるのも不思議ではない。
今思えば、それは暑さの厳しい夏だった・・・気がする。だって病棟の中は冷暖房完備だから、そんなに暑いって思わなかったもん。でもわたしはその日、Tシャツを着ていた。お気に入りのレッド・ツェッペリンのTシャツ。その姿で売店に行こうとナースステーションの前に立っていた(売店には看護師と一緒に行かなければいけないため)。すると!あっ!あの煙草吸ってた怖い人!が横からスーッと歩いてきて近づいてきた。そして一言、「レッド・ツェッペリン、好きなんですか?」と声をかけてきた。わたしは当時、ジミー・ペイジに心酔していて、病室にジミー・ペイジの写真を飾っていたし、髪型は彼を意識したむさくるしいパーマをかけていた。だから嬉しくて舞い上がってしまった。
閉鎖病棟には長めの廊下があり、井戸神とわたしは時間があればその廊下を歩く同士になった。端から端まで、行ったり来たりを何十往復もしてた。一緒に並んで歩いてた訳じゃなく、お互い適度な距離を保ちながら、延々と。最初は殺伐とした雰囲気をかもしだしていた井戸神も、徐々に穏やかになり時々ほほえみを見せていた。ある日こんなことを歩きながら話してくれた。「俺、兄貴が死んだんです。自殺です。」「俺、死に場所を求めてたら警察に保護されて入院しました。」わたしはただ、そうなんですか、としか言えなかったと思う。
わたしの入院生活も終わりに近づいてた頃、相変わらず病室で一人、本を読んでいた。わたしの病室は無機質な個室。読んでたのは確か、フラナリー・オコナーの書簡集「存在することの習慣」だったと思う。その日もボーッと、おやつのトロピカルなミックスジュースを飲みつつ読んでたら、なんかめちゃくちゃデカイ声でエレファントカシマシの歌が聞こえてきた。それはまるで室内放送のスピーカーから聞こえてくるみたいだった。いや、とにかくデッカい声だった。よく考えてみると、誰かがどこかの部屋で歌ってるような・・・。わたしはもしかして?と思って声の主の方へ行ってみた。なんか慌てて、飲みかけのジュースを手に持ったまま。行く先の、食事をする部屋にはたくさんの患者と数人の看護師が集まっていて、その中心にギターを持った井戸神がいた。井戸神は歌っていた。「悲しみの果て」「島人ぬ宝」「イマジン」。わたしはあまりの声の大きさと、歌の衝撃に神経ヤラレて泣き出しそうになってた。実際泣いていたかもしれない。わたしは勇気を出して、身体ぶるぶる震わせて、「歌、良かったです!」って井戸神に声かけた。井戸神は「ありがとう!緊張しました。」って言ってた。高揚していた井戸神は、それまで見たことのない笑顔だったな。
入院生活はわたしのほうが先に終わった。井戸神は「一番街で歌ってるから。」と言い、メモ紙に電話番号を書いてくれて渡してくれた。お別れの日、最後のドアが閉まる時もずっと手を振ってくれてた。
わたしは退院した。井戸神はその時まだ入院中。でもずっと連絡はとりあってた。ある日、「俺が退院したら知り合いのマスターがいる、ちっちゃなバーに行きませんか?俺、歌うたいます。」「絶対皆んなと話が合うと思います。親友も紹介します。」とメッセージが来た。嬉しいような怖いような。絶対!怖い人たちの!集まりだ!って思ったけど(薬とかまわってくる系の)、井戸神に会いたかったし、井戸神の歌が聴けるならと思って、行った。もう、肌寒い季節になっていた。 それからわたしはだんだんと井戸神を神様みたい・・・って思うようになってた。だって彼自身が「神」という存在の話をするようになったし、わたしの人生の向きを大きく変える存在になっていたから。

「俺は神様みたいやっちゃわー。幻聴が言うには・・・の話やっちゃけど。神様って言うか、神様よりもスゲーレベルって言うことみたいやっちゃけど、キリストよりもブッダよりも上やとと。んで、何が上かって言うと、精神的苦しみが、人類史上、一番上やとと。ぶっちぎりで一番苦しんだ人間やとと。幻聴が言うには・・・の話やじ。何回も言うけど。いつ、そんなに苦しんだと?と思うかもしれんけど、今思うと、オーストラリアに行った時かな?本格的に苦しみが始まったのは。俺、行ってすぐに、大麻使って、超、バッドトリップになったっちゃけど、キマッて、調子に乗って、ホテルの地下で大声で歌っちょったら全身ピアスのヒッピーみたいな奴が、英語で文句言いながら頭叩いて来て、うるさかったっちゃろうけど、かぶってた帽子が飛んで行ったっちゃわー。帽子拾いに行ったら、偶然やと思うし、ただの鼻血か何かやと思うけど、帽子の横に血のりが、べったりあって、ドンギマッちょったかい、俺、『これは何かの暗示?』って考えてしまって、怖くなって、そのホテル出たっちゃわー。それから、夜通し歩き回って、朝になって、疲れて凄くキツかったっちゃけど、次に泊まるホテル探さんといかんと思って、〈地球の歩き方〉見ながら転々とホテル周ったっちゃけど、何かその日、メルボルンで祭りか何かあったらしくて、どのホテル行っても断られたかい、夕方、やっと泊まれるホテル見つけて、ウェスティンホテル?やったかな?確か。何か、一泊5万円ぐらいの部屋しか空いちょらんでかい、でも、疲れとバッドトリップで、ずっと誰かに尾行されちょる・・・今にも誰かに襲われそう・・・みたいになっちょったかい、泊まることにしたっちゃわー。めっちゃ豪勢な部屋に入って、鍵かけたけど、ホッとしてまたチルッたら、また被害妄想が酷くなって、今にも誰かが部屋に入って来るような気がして、そして、惨殺されるっちゃねーやろか?とか考えるようになって、怖くなって、部屋にあった電話から宮崎の親に電話かけて、正直に今の状況を話したっちゃわー。「オーストラリアに着いて、大麻吸ったら、被害妄想入ったみたいで、尾行されてる、殺される・・・って考えてしまって、怖くてホテルの部屋で一人で居る」って。そしたら、母ーちゃんが、怒って「英語の勉強するために行かせたのに何しちょっとねー!!」って言ってガチャッて電話切られて、母ーちゃんはその状況が分かってなかったかい、そう言ったっちゃろうけど、俺は、超バッドトリップになって、『もしかしたら、親が俺に保険金かけて、外国で殺されるように仕向けたっちゃねーやろか?』って考えてしまって・・・もう、今にも誰かが部屋に入って来て、惨殺されそうな気がして、最終的に、惨殺されるんなら、今、ここで、自殺した方が楽な死に方やっちゃねーかーと思って、部屋にあった、目覚まし時計のコード、首にかけてドアの桟に結んで試したけど、ビローンてコードが伸びてダメで、風呂場のシャワーのかける所で試したけど、何かうまくいかんで、しょうがないから、部屋のドアノブにコード結んで、ケツに枕置いて、首に巻いて枕取ったら、血の気引いて来て、気を失って『このまま死ぬんだ・・・』と思ったけど、気が付いたら朝になっちょった。で、また夜までメルボルンの街を徘徊して、ずっとずっと歩いて歩いて、暗い所が怖くて、ガソリンスタンドとか、24時間のハンバーガー屋とか、駅とか、明るい所明るい所、求めて歩いて、気が付いたら、一本の橋の上にたどり着いて、この橋の上に居れば、尾行してる奴も目立つから来れんやろうと思って、でも、今、すぐに誰かに襲われそうな妄想はずっとあって、橋の上から河面を眺めてたら、『飛び降りて死んだ方がまし』って気持ちになってから、何か、尾行してる奴をびっくりさせたい気持ちにもなって、欄干の上に立ったっちゃわー。したら、酔っぱらったオーストラリアの若者4〜5人が「ユアクレイジー!!オーケー!!ゴーゴー!!」とか言って集まって来て、その中の女の娘だけが「ストップ!!ストップ!!」って言って足首掴んじょって、でも俺、もう、どうにでもなれっ!!って思って、飛び降りたっちゃわー。橘橋より高い橋やったと思うけど、水の中は真っ暗で、水面に浮かぶまで、凄く時間があって、水を掻いて水面に向かいながら考えたことは何故か、大好きな映画のことで、〈ポンヌフの恋人〉のラストも橋から飛び降りてたなぁーと思って、プハーッって水面に顔出して、俺、「ライフイズビューティフルー!!」って叫んでたじ。その時から俺、被害妄想と一緒に誇大妄想を抱くようになったっちゃわー。絶対に尾行してた奴(←実際は居ない)もビックリしたやろうし、殺そうとしてた奴らも凄い奴だと思ったやろうし・・・って。岸に上がったら、酔っぱらいの若者達が待ってて、ヒューヒュー言いながら握手求めて来て、英語だから何言ってるか分からんけど、とにかく褒めてくれて・・・握手しながら、『俺、もしかしたら、もう面白い奴だと思って、殺されずに済むっちゃねーかー?』と思ったじ。何かのスイッチがONになったような、人生変わったような感じやったじ。それからやね、俺の誇大妄想が一気に加速したのは。」

井戸神とはいろんな場所で話をした。
「お兄さんが亡くなったのはいつなの?」
「うーん。・・・あっ、20年前。それはちょうど20年前だった。あ、今、兄貴の〈お守りさん〉が20年前だぞ、ちゃんと覚えておけ!って言ってきた。」井戸神は腕組みをし、わたしのずっと後ろの方を見つめながら話した。それって幻聴なのでは、と一瞬思ったが言えなかった。〈お守りさん〉というのは人それぞれについてる守護神のことらしいのだが、井戸神にとっては攻撃ばかりしてきて守護してくれる感じがしないため、井戸神は〈お守りさん〉と呼んでいる。
「わたしの〈お守りさん〉ってどんな感じ?」
興味本位で聞いてみた。 「いや、忘れた・・・。」目線はわたしの背後にあった。その目線が動いて、目が合った。
「兄貴は俺を苦しめるんだ。死んだ親父もそう。」と井戸神。「話を聞いてると、亡くなった人が苦しめてくるの?友達とかお母さんは出てこないよね?」とわたし。
「いや、めっちゃ苦しめるから!母ちゃんなんてめっちゃ苦しめるから!」目線はわたしを射抜いて奥の方を見ているようだった。井戸神の目を覗き込んでみたら、相当潤っていた。底なし沼のようだったし、青く滲む海の表面のようだった。話はそこでやめて、井戸神の人生をわたしは思った。赤ちゃんの井戸神、きっと可愛かったよね。ちびっ子の井戸神、きっといたずら好きよね。やんちゃな井戸神、悪いことしてたよね。井戸神ー、あのさー。わたしはすぐに人生をなぞるのをやめて井戸神を見て話しかけようとした。なんと、井戸神はわたしを見つめていた。
「フーーー、ンンンッ。ンンンッ。ンンンッ!!」井戸神は、ただ、腹に力を入れて瞑想をしているだけだった。
井戸神教信者みたいになったわたしは、事あるごとに井戸神へ質問した。昼のコメダや夜のタリーズで。井戸神は最初丁寧に、終わりの方は面倒くさそうに答えてくれた。深遠なる井戸神の世界をなんとか文章にまとめたいと思っていた。井戸神に影響を与えたという、村上龍の小説も読み返していた。
「最近痩せたね。適度に太い腕が強そうで良かったのに、今じゃ小鹿みたいだね。バンビちゃーん。どうしたの?」 「俺、最近うまかっちゃんしか食ってないからね。」
「うまかっちゃん派、なんだ?」
「いや、派っていうか食生活のほとんどがうまかっちゃんっていうレベルだから。」
「じゃあ、党だ。うまかっちゃん党。どう?」
井戸神はフフっと笑みをこぼして口髭を指先で擦っていた。この頃、井戸神は痩せていた。目の前の彼は細い指でアイスカフェモカに突き刺さっているストローをつまみ、ゆっくり中身をかき混ぜていた。
「あ、やばい。パニック発作来そう。」井戸神の顔が曇っていた。さっきから受け答えが簡潔になってたのはこれが原因なんだ。井戸神、苦しそうにほほえみながら「俺の人生、パニック発作がなければ幸せなのに!」
「そうなの?パニック発作がなければ幸せなの?」
「そう。」
もう、話す言葉も出てこなかった。

「俺の中に、俺がお守りさんって呼んでる存在が居るっちゃわー。いわゆる守護神と皆が呼んでるような存在やっちゃけど、俺には、自殺した兄貴とか、自殺した友達とか、癌で死んだ親父とかが、お守りさんになるっちゃけど、俺の場合、守護神とかお守りさんっていう存在までもが俺を苦しめる存在になってて、自殺した兄貴が一番俺を苦しめてたっちゃわー。オーストラリアから帰ったくらいから俺、幻聴が聴こえるようになったっちゃけど、俺の場合、本当に声が聴こえる訳じゃなくて、伝わって来る感じやね。俺、そのお守りさん達とずっと戦って来たっちゃわー。友達を守ってるお守りさんが、俺の中に入って来て俺を苦しめたり、母親のお守りさんが入って来て、東京に居る時なんて、俺が注射器に覚せい剤を入れてる時に、「あんた、そのでかいガンコロ(覚せい剤の結晶)も入れなさい!!あんたは私の息子やろがね怖がらずにガンガンやりなさい!!まこち!!」って言って来たりして、母親のお守りさんがやじ。真逆のこと言われて戸惑ったじ。とにかくそうやって色んなお守りさんが俺の中に入って来て、俺を苦しめちょったじ。東京で放浪生活してた時も、周りの人達のお守りさんが入って来て、路上で歌うたってたら、「へたくそ!!お前、うるせーよ!!」とか言われたりしてて、お金持ってなくて2〜3日まともに食べてなくて、夜は歌舞伎町のデカマックの地下で寝て・・・って生活してて、何とかお金貰おうと思って頑張って歌ってるのに、その辺の通行人のお守りさんから「うるせー」とか言われて、その頃はまだ、お守りさんっていう概念もなかったから、本当に通行人、本人がテレパシーみたいな感じで言って来てると思ってて、目の前を通ってるただの通行人に対して殴ろうかなって思ったりしてて、今思えば、通り魔とかってその時の俺みたいな精神状態なんじゃないかと思うじ。その東京で放浪してた時は、オーストラリアから帰ったあとで、被害妄想も誇大妄想も凄くなってて、相変わらず殺される・・・とか思ってたし、オーストラリアで殺されずに無事生還したことで、こんな奴今まで居なかったって有名になってる・・・とかも思っちょったじ。そう。俺はいつしか自分が世界でも有名な男やと思うようになっちょって、ネットで生中継で俺の東京放浪生活が流されてると感じてて、渋谷の街の中、歌舞伎町の雑踏の中、代官山の住宅街の電灯の下、どこに居ても周りの人は皆、俺のことを知っているんだと思っちょった。もっと言うと、ハチ公のベンチに座っちょっても周りの人ほとんどが俺のファンやと思っちょったじ。誇大妄想も行くとこまで行ったなって感じやけど、こんなもんじゃない、もっと凄い誇大妄想をいずれ、体感するっちゃわー。この頃は完全にホームレス状態で、高田渡の〈生活の柄〉じゃないけど、本当に草の上で寝る毎日で、そんな生活の中、妄想と幻聴に襲われてて、歩き疲れては夜空と陸とのすき間にもぐり込んでて、路地裏でタギング(グラフィティーアート)を観ながら歩いてた時に、宇田川町の交番の前で職質にあって、大麻所持で1回目の逮捕されたっちゃけど、俺、この頃から悪い霊に取り憑かれてる妄想が始まったじ。悪い霊がその辺の悪い霊を呼んで、もう、がんじがらめになっちょるって思ったじ。初めて留置所に入れられて刑が確定するまで拘置所にまで行ったっちゃけど、その頃、同じ建物の中に麻原彰晃が居たっちゃわー。もちろんまだ生きてる頃やじ。で、ある日、拘置所の狭い独房の中で、夜も眠れず、相変わらず被害妄想や誇大妄想や幻聴で頭の中ぐるぐるなってる時に、急に麻原彰晃からのテレパシーが飛んで来たっちゃわー。「今日の飯、うまかったな」とか、「今日は風呂に入れるから良かったな」とか・・・。麻原彰晃のお守りさんからのテレパシーやったっちゃろうけど、ビックリしたし、怖かったじ。他にも、芸能人とかからもテレパシーが飛んで来てて、その中でも一番強かったのはやっぱビートたけしやったじ。「お前を主人公にして映画撮りたい」とか言われよった。3ヶ月ぐらい拘置所に居て、いよいよ出所の日、俺、まず、ハチ公前に行って、久し振りのタバコを、スタバのカフェモカ片手に吸っちょったら、周りの人達が『おめでとう』ってテレパシー送って来て、『オレ、お前のファンだよ』とかってテレパシーもあって、女の娘のファンも居て、『私、あんたのためなら何でもする!!』とか『今すぐフェラしてあげたい』とか、赤面するようなテレパシーもあって、一人でニヤついちょった。その日から、また放浪生活が始まって、歌舞伎町の路上で歌ってたら、ヤクザのおいちゃんに気に入られて、ヤクザマンションって言われてるマンションに転がり込んで、シャブ打っておいちゃんの女とヤッてしまって、おいちゃんからボコボコに殴られて逃げた末に、オカマの人から「顔ボコボコねー、どうしたの?」って声かけられて、「私がそのヤクザから金取ってやるわよ」って言われて、地下の妖しいバーに連れられて酒、しこたま飲まされて、その時、美輪明宏からテレパシーが飛んで来て『そのオカマの中に私が入るからやりましょうよ』って言われて、訳分からん内にあれよあれよという内に俺、ボコボコの顔で、泣きながら、その、〈美輪明宏のお守りさんが入ったオバサン・・・実際はオジサン〉にフェラチオしちょったじ。本番も。何かおぼろげに、美輪明宏から『そのオカマと本番したら、合格よ。芸能人になれるわよ。』って言われた覚えがあるじ。余談やけど、フェラしながら、俺、『俺、フェラうめー』って自分で思った覚えもあるじ。女の子が俺みたいにフェラしてくれたらいいのにな(笑)とりあえずそのオカマの家に転がり込んだんだけど、ヤッたのは1回目だけで、2回目から求められてももう、やる気がしなくて、ボッタクリゲイバーで客に睡眠薬飲ませてカード盗んで、そのカードでお金をATMで引き出す役とかやらされて、嫌になって飛び出した。また放浪生活が始まって、ビルの階段の踊り場とかで寝てて、1週間に1回ぐらい母親が5000円、口座に振り込んでくれてたから、入ったら即、大麻買ってキメてて、幻聴に泣いたり笑ったりの生活してた。そんな折に、たまたま入ったパチンコ屋で、積んである箱から一箱盗んで換金したら、15000円ぴったりになって、覚せい剤が買える額だったから即、買って、渋谷のガスパニックっていうクラブの奥のトイレで打ったら超現実っていうような精神状態になって、パキパキになって、マクドナルドで、ずっと、有名になった時のためのサインと言うか、タギング(グラフィティーアート)を描いてて、24時間ぐらいかけて、やっと、これだ!!というタギングが描けたのでコンビニでマジックを万引きして、渋谷の街を徘徊しながらタギングしまくって、人のバイクに描いたり、ガードレールに描いたりしながら体力も精神力もヘトヘトでたどり着いた渋谷のハチ公前。佇んでると、どこからか、『ハチ公にタギングして!!』というテレパシーが・・・。俺、それがゴールのような気がして、なぜかそれで芸能人になれるかも・・・とか考えて、入念にハチ公にサインと言うかタギングと言うか、落書きと言うか、とにかく無我夢中に描いてた所を、警官2人に両脇をガシッと掴まれ、2度目の逮捕。大麻所持と覚せい剤使用で刑務所へGO。手錠したまま、飛行機に乗せられ、着いた所は佐賀少年刑務所。そこで初めて、俺は精神薬とやらを飲むようになり、それまで苦しんだり楽しんだりしていた幻聴から解放されて3年の刑期の半分を安定剤を飲んで過ごした。寒い刑務所生活。昼休みの日なたぼっこに心を洗われたような気がしたよ。安定剤を飲むようになって、幻聴・妄想からは解放されたけど、副作用でパニック発作が出るようになってしまった。夕方から夜にかけて週に2〜3回発作がおこるのだ。パニックは、安定剤を飲んでる今なお、続いてる。でも、安定剤は飲まないと、幻聴・妄想で苦しむようになるので、パニックはキツいけど、頑張って飲んでいる。今、なお。刑務所とは、実際の社会で、ルールを守って生きて行く練習をする場所なので、布団のたたみ方から本棚の整理の仕方、タオルのかけ方、掃除の仕方、など、事細かに規則があって、それを守らないと、懲罰房に入れられる。俺も、ひょんな事から懲罰を受けることになって、懲罰房に入れられた。狭い独房で、朝から夕方まで、ただ、あぐらをかいて座るのが懲罰だ。手を太ももの付け根にぴしっとつけて。前方を向いて、ただただ座ってるだけ。動いてはいけない。それを一週間続けて晴れて次の別の工場に移った。その時に、俺、パニック発作もキツいし、何か自分を変えたくて、精神安定剤を飲むのを拒否するようになった。それからである。また妄想の世界に戻ってしまった。残期は1年半あった。また、刑務官や周りの人達からテレパシーが飛んで来るようになり、誇大妄想で刑務所出たら、どっかのヤクザが、俺を親分として迎えに来るんじゃないか・・・と考えたり、どっかの芸能事務所が迎えに来るんじゃないか・・・と考えたりしてた・・・内はまだ良かった。その内、被害妄想も激しくなり、どっかの宗教が、俺を生贄として殺すために迎えに来るんじゃないか?とか考えるようになり、俺は出所するのが怖くなった。そんな時に、薬物中毒者の回復のための施設、ダルクが、刑務所にメッセージに来た。ミーティングと呼ばれる会に参加させてもらうと、ダルクの人が、「薬を止めたいなら、ぜひ、ダルクに来て下さい」と言った。俺は、これだ!!俺を守ってくれるのはダルクしか無いと思い、出所したらダルクに入寮した。出所の日、ダルクの人が迎えに来てくれ、途中のパーキングに寄ってロッテリアのハンバーガーを食べた。久し振りのシャバの食べ物。とっても美味しく感じた。店を出ると・・・、パーキングの駐車場に、ヤクザの黒塗りの車がたくさん停まっていた。俺を殺すためにか、親分にするためかどっちか分からないが、迎えに来てたんだと思った。でも、俺はダルクの一員。もう、ヤクザには手を出せないだろう・・・。俺はダルクに助けられた。そう思った。しかし、ダルクに入寮して一週間で、俺はダルクを飛び出した。その時抱いていた妄想はもう忘れてしまった。相変わらず被害妄想も誇大妄想も抱いてて、ヤクザか宗教に命を狙われてる・・・か、親分か教祖に迎えられる・・・そんな妄想で頭がいっぱいだった。その日から、また俺は福岡放浪生活が始まった。一晩中歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、街の中をウロウロ、住宅街をウロウロ、足を引きずりながら歩き回った。ふと、俺は『そう言えば刑務所に入ってからギターを弾いてなかったなあ』と思い、デパートの楽器屋に入って行った。店員に頼んで、ヤイリの15万ぐらいのギターを試し弾きしている時に、店長からテレパシーが飛んできた。『そのギター、あなたのために作られたギターですよ。持って行っていいですよ。絶対に捕まえませんから、持って行って下さい』そう言われた。俺は完全に信じてしまい、次の瞬間、ギターを持って走って楽器屋を出てた。でも、デパートの5Fぐらいに楽器屋があったので、エスカレーターまで遠くて、すぐに店員に捕まってしまった。またまた警察に連れて行かれ留置所に入れられた。だけど、取り調べ中も「店長がテレパシーで持って行っていいよって言ったので、盗りました」としか言わなかったので、精神障害の上での罪だと認められ、パイ(不起訴)になった。ダルクの人が迎えに来てくれて、俺は佐賀の精神病院に送られた。その日から、また安定剤を飲むようになり、また幻聴・妄想のない、普通の日々が始まった。それから約6年、途中からはスタッフとして、ダルクに関わった。ダルクでは、ミーティングが毎日行われる。7〜8人で、1人、10〜15分ぐらい独白をするのだ。周りの人はただ聞くだけ。1人で、薬を使ってた頃の事とか、最近の自分の状態、何でもいいからただ独白をする。それがミーティングだ。そのミーティングを、俺は6年間、多い時は1日に3回、続けた。ダルクでは、ミーティングの他に、スタッフとして、メッセージというのにも参加していた。中学校や高校で、自分が麻薬をして苦しんだ・・・という話をするのだ。7〜800人ぐらいの人の前で、自分の話をする。とてもいい経験になった。あと、刑務所や拘置所にもメッセンジャーとしてミーティングをしに行っていた。薬物事犯で捕まった人達に、薬のやめ方などを話していた。自分が入っていた刑務所で、刑務官から、「先生、今日もよろしくお願いします」と言われるのは気持ち良かった。ダルクという所は、アットホームで、仲間同士助け合い生活をする、素晴らしい所だった。こんな俺でも、本気で薬をやめて生きて行く人生を真剣に考えていた。6年もかかって、やっとダルクを卒業し、俺は精神障害者として、生活保護をもらいながら、福岡で一人暮らしを始めた。国から、あなたは頭がオカシイですと認められたようだった。そして、夜は、警固公園で歌を歌うようになった。ダルクを卒業して1年経った頃、俺は、また、パニック発作が嫌になり、安定剤を飲まないようになった。1ヶ月過ぎて、パニック発作が出なくなった頃から、俺はまた、幻聴・妄想を抱くようになった。被害妄想、誇大妄想が出て来て、また芸能人からや、ヤクザの大物から宗教家などからのテレパシーが届くようになった。芸能人からは『いい役者になれるから早く東京に来い』と言われ、ヤクザからは『頼むから俺らの派閥に入ってくれ』と言われ、宗教家からは『私達の教祖になって下さい』と言われた。ちゃんとアパートがあるのにも関わらず、俺は、毎日毎日、街を放浪するようになった。俺にはどうも放浪癖があるらしい。薬を飲んでないと、すぐに街を放浪するのだ。幻聴と共に歩いて歩いて、ヘトヘトになり、警固公園で座っていると、『踊ってほしいな』と、女の子から言われた。テレパシーで。俺は踊りが好きだ。クラブなどに行くと、4〜5時間、余裕で踊ってる。公園で、一人、ブツブツと独り言を言いながらブレイクダンスとも、パントマイムとも言えるような踊りを踊っていた。ずっと踊っていた。疲れてフラフラなのに、それでも踊り続け、朝になると、アパートに帰り、死んだように寝た。なのに2〜3時間するとすぐに目が覚め、眠った気もしないのにまた眠る気もせず、起きると、『おはようございます。』と、近くのパチンコ屋からテレパシーが飛んで来た。『今日は井戸川様、絶対に勝たせますので、来て下さい』俺はラッキーと思い、パチンコ屋に行った。そして、スロットの台の前に着くと、スロットの台が『私は出ませんよ』と言う。隣に移ると、『めっちゃ出しますよ』と言う。財布からお札を出すと、お札が、『絶対勝たせるぞ!!』と言う。お金を入れ、コインが出て来るとコインまで『勝つぞー!!』と言う。打ち始めてもずっと、『もうすぐ出ますもうすぐ出ます』と言う。なのに全然出てくれない。お金はどんどん無くなって行く。とうとう最後の千円。『私が絶対に勝たせます』・・・。結局持っているお金スッてしまった。『次は絶対勝たせますから・・・』パチンコ屋が言う。この頃から、俺には、物からも幻聴が聴こえて来るようになった。愛用のギターはもちろん、自転車やケータイ、洋服、など、全ての存在が話しかけて来た。そして、その頃から、俺は、テレパシーや幻聴は、本人ではなく、その本人に取り憑いている守護神から届いているのだと考えるようになった。いわゆる、俺が言う所のお守りさんだ。全ての存在に、お守りさんが居て、お守りさんが話しかけて来るのだ。そして、そのお守りさんの世界で、俺は世界規模で有名になっていると思っていた。お守りさんからの幻聴は激しさを増し、いつの頃からか、オバマや金正恩、安部首相からも届くようになっていた。福岡の街を放浪しながら、何故そんな大物からまで幻聴が聴こえるのか分からなかった。とにかく、俺は特別な人間だったんだと思うしか無かった。死者の霊もたくさん俺の中に入っていた。ある時、ビートルズを歌ってると『俺も敦のファンだよ』と誰かが言って来た。ジョンレノンだった。ジョンレノンの霊も俺に取り憑いていたのだ。ジム・モリソンも、ジャニスジョプリンも、ジミ・ヘンドリックスも、カートコバーンも、皆、俺の中に居て、歌うと褒めてくれたり、アドバイスしてくれたりしてた。朝まで歌ったり、夜通し歩き周ったりしている内に、俺は限界を迎えてしまった。アパートで、痙攣発作を起こして大声で叫びながら倒れてしまったのだ。近所のオバさんが警察と救急車を呼んだ。俺は手に入れていた大麻を、布団の上に置いたままにして倒れていた。なので、警察が部屋に入って来てすぐに逮捕されてしまった。留置所を経て、福岡拘置所に送られた。そこで、俺は完全に頭がぶっ飛んでしまった。狭い独房で、何日も眠れずに、精神的に限界を迎え、被害妄想で、『お前を殺せば俺達は凄い力を与えられるのだ』と幻聴が届いた。俺が特別な人間なので、俺を殺すと、しかも、出来るだけ苦しめて殺せば殺す程、大きな力を与えられるので、周りが俺の取り合いになってるらしい。その中でも一番俺を苦しめたのは、オウム教だった。オウム教は、俺に、痛みが敏感になる薬を打った上で、手足を切断して、内臓をぐちゃぐちゃにして、最後は脊髄の神経を剥き出しにしてとてつもない痛みを与えて殺すと言って来た。ヤクザも政府も宗教も、皆、俺を狙ってると思った。夜、眠ると、その間にどこかに運ばれそうで、俺は、眠らないために、枕から5cmぐらい頭を浮かして寝ていた。緊迫していた。今にも誰かが部屋に入って来そうで、とにかく眠らないように頑張った。そんな日々が続いた。精神状態は、ハイになったり落ち込んだりを繰り返していた。ハイになると、誇大妄想が出て来て芸能人のお守りさんと話をしていた。その中で強かったのは、綾瀬はるかのお守りさんだった。俺のファンだと言った。俺達は付き合う事になった。お守りさんは俺の中に入り、二人で一緒にご飯を食べたり、絵を描いたりしていた。ハイになってるので、何でそんなに笑っていたのか、今は思い出せないが、綾瀬はるかのお守りさんとはずっと笑っていた。腹筋が痛くなる程。ハイになるとそんな感じで凄く楽しいのだが、落ち込んで来るとまた、手足切断の妄想が付きまとった。他にも金正恩が拘置所に核爆弾を落とすと言って来たり、もう、すでにアメリカが動き出し、オバマが俺を惨殺すると言って来たり・・・。とにかく俺は誰かに惨殺される存在なのだと考えていた。苦しい拘置所生活も終わり、俺は1年の刑で福岡刑務所に送られた。護送車のカーテンの隙間から見た桜の花がキレイだった。福岡刑務所に着いても、俺の妄想は相変わらずで、もの凄い量の霊に取り憑かれてる・・・それは、原爆で亡くなった人達だったり、昔の侍や忍者、それ以外にも、病気で苦しんだ人の霊や、自殺者の霊など、たくさんの霊に取り憑かれていると思っていた。その状態での他人との共同生活は、やっぱり長くは続かなかった。6人部屋に入れられたのだが、俺はずっと独り言を言って、一人で笑ったり、泣いたりしていた。昼間は刑務所では、工場で働くのだが、俺は眠れてない疲労で、4回も痙攣発作を起こして、その都度、刑務所用語でベンツと言われてる、医務からの車椅子に乗せられ、医務で、薬を飲むように言われた。でも、その薬が何の薬か分からないので、断固として薬は飲まないと突っぱねた。部屋の他の受刑者から、独り言がうるさいので、部屋を出て行って欲しいと言われた。なので、仕方なく、入口の扉を強く蹴って、大きな音を出した罪で、懲罰房に行くことになった。その辺からが地獄の始まりで、懲罰房の中でもじっとしていられず、俺は、自分で考えた除霊を始めた。と言うか、体が、勝手に動いたような感じだった。拳を握りしめ、スクワットのように足の曲げ伸ばしをとにかく続くだけ続けた。1時間くらい続けただろうか?もう体力は限界だった。そして、もう立てないぐらいになった時に、何か体が軽くなった気がして、俺は大声で、「勝ちました!!勝ちました!!」と叫んでいた。絶叫して、「勝ちました!!」と叫んでいると、刑務官が飛んで来て、両腕を持たれ、まるでキリストのように、ズルズルと、今度は、24時間監視カメラ付きの静穏室という部屋に連れて行かれた。天井にはカメラ、そして、様子を伺うためのデカい窓。勝ちましたと言って、もう、悪い存在が居なくなったと思ったが、相変わらず幻聴は聴こえていた。そこで、俺は、食べ物に人の肉が混ぜられてる妄想に取り憑かれた。人肉を食べると、取り返しのつかないことになると、勝手に考え、静穏室に入って4日間、何も口にしなかった。4日目、部屋に8人ぐらい刑務官が入って来て押さえつけられ、ケツに注射された。俺は、もう終わりだと思った。このまま刑務官から惨殺されるのだと思った。だけど、薬は意外に良い方向に向き、いい気持ちになり、俺は落ち着きを取り戻し、まず、麦茶を飲んだ。4日ぶりの麦茶は〈麦茶の方から入って来る〉と感じる程の旨さで、今でもあの時の事は忘れない。ご飯も、もう何も入ってないと信じられ、とても美味しく食べれた。とここまで書いて、これを読まれてる読者の皆さん、大変申し訳無いのですが、俺、てげ疲れてもう、ここから先、書く気が無くなったじ。誰か助けて・・・誰でもいいから・・・あ、やっぱできれば女の人がいいかな・・・助けてもらうのは・・・ちょっとぽっちゃり目の女の人限定にしようかな。マニアとして・・・。それにしても、もう説明するのが嫌になった。だいたい、俺、表現力があんまり無ーから、いかんじね。まあ、俺なりに頑張ろうって言ってハードル下げていこう!!大丈夫やった。そうだそうだ。俺なりに頑張るわー。誰にも助けてもらわんでも、一人でいい感じの所に着地した。皆、ごめんね。皆、ごめん。俺、最初みゆきちゃんに話しかける風に、しかもテーマがローカルということやかい宮崎弁で書いちょったのに、途中からめんど臭くなって、それを止めてしまった。面倒臭さがりやとよ、俺。本当、ごめん。俺、それにしても、橋から飛び降りたり手足切断される妄想と戦ったり、寝静まった夜、いきなり凄いテンションで「勝ちました!!勝ちました!!」って叫び続けたりして、渋い人生歩んで来ちょっじね。実際。とにかく苦しんだ。胸を張って言える。俺、結構苦労しちょっじね。だいたい、俺が刑務所に行くなんて考えもしなかった事やかいね。しかも2回も。その2回目の刑務所で、俺、神様になったっちゃわー。苦労のし過ぎで。んで、お守りさんとの戦い真っ最中の時、いきなり、『宇宙人にも人気あるからね、井戸川敦。』っていう言葉が聞こえたっちゃわー。俺の中に宇宙人がいて、話しかけて来たと。お守りさんの世界ではジョンレノンが話しかけて来た時もびっくりしたし嬉しかったけど、宇宙人にも人気があるってどんだけの知名度やとか?って俺、何がそんなにスゲーと?確かに苦労はして来たけど、44、のおっさんやじーって言ったら、人間の人生、80年、100年のレベルに達しようとしてるから、未来では、40代ぐらいでやっと初婚を迎えるぐらいになるとと、俺は、その走り世代やとと。頭もハゲて来よるけど、未来さんが言うには、ハゲ、流行るとと。ハゲて何ぼ?の世界になるとと。ハゲは渋いもんね。渋い。味がある、味がある。とにかく宇宙人にも人気があって、女の集合体からもアプローチされてて、ヤクザや宗教家や政治家や焼き鳥屋のオヤジや立川談志師匠にも好かれてて、まるで顔の周りで花が咲くような気持ちになるね。実際。多分、さっき書くことを諦めた俺、それまで頑張って書いていた俺とは違う人格やね。そうやとよ、俺は、精神分裂してるみたいやとよ。結構残酷な考えも持っちょるとよね。だから手足切断なんてとんでもないこと考えつくっちゃろうけど。ところでやけど、皆、宮崎のこと、どう思っちょる?皆、宮崎好き?俺はめちゃめちゃ好きやじ。そう言えば、福岡の女の集合体vs宮崎の女の集合体って言う戦いもあったっけ?福岡にまだおる頃やったけど、両者が俺の取り合いしちょって、宮崎の女の集合体から『早く帰って来いって!!私と付き合おうやて!!』って言葉が飛びかっちょったじね。幸せな妄想やじね。俺のケータイから飛ばした一番安くて小さいBluetoothのスピーカーからはジョンのDon't Believeの切ない声が・・・。俺は一人、ノートに向かい・・・てゆーか、また書く気がせんなって来て、つい、今の事を書いてしまったじね。てげだりぃ。ポッチャリ目の女の人限定で助けて・・・。あぁ、いかん。俺、まじで頑張るわー。とにかく、狂ってたから、刑務所に入るずっと前から。また6人ぐらいの部屋に入ったっちゃけど、俺以外のメンバーの内、2人が全身刺青で2人が小指が無いような部屋で、俺、隣の指無し全身刺青ヤクザとちょっとイザコザがあって、独り言はブツブツ言うわ言うことは聞かんわで、朝、注意されて、注意受けてすぐにトイレで爆笑してたら、「お前、出ろ!!」って言われて、部屋の真ん中に座らされて、ヤクザ3人からボッコボコ!!蹴るわ殴るわでてげ痛かった。だけど、顔だけはしっかりガードしちょったじ。また刑務官からズルズルと引きつられて懲罰房。刑務所って殴られた人も喧嘩両成敗で、懲罰受けるとよね。また、一日中座ってるだけの日々。2日も座っちょると、時間がめっちゃ遅く感じて、凍える程寒くて。俺、懲罰房で初めて過呼吸になったじね。息、吸っても吸っても吸い足りなくて、ヒーヒー言って、最後は倒れそうになって、何とか息を吐く方に意識して、少しずつ落ち着いて大丈夫やったけど、苦しかったぁ。まじで。過呼吸って本当に苦しい症状やっちゃって改めて感じたじ。懲罰房で座っちょったら、周りの同じように狭い独房の中で、目の玉も動かさないように気をつけながら座ってる他の人達のお守りさんから、『井戸川さん、歌うたってよー』と言われて、たくさんの人からそう言われて、俺、キモノズのサウンドトラックマーダーを絶叫して歌ったじ。歌う事も許されない、刑務所の中で、あんなに開放的になったのは珍しいじ。また腕を4人で持たれてキリスト状態で、ズルズルと、今度は、静穏室よりももう一段階上の特別な部屋、保護房へと入れられたじ。そこで俺は色んなことを知ったじ。俺には、強くて悪い霊がたくさん憑いてるということ。オウム教が、生贄として狙っていること。芸能人になれば全て許してもらえるということ。〈俺は、いくら幻聴で芸能人になれと言われても断固として毎回断っていた。芸能人になんかなりたくないからだ。それでも色んな芸能人が、俺に芸能人になれと言って来ていた。〉オバマも最近は俺のファンになっていること。金正恩も昔から俺のファンだったということ。トランプは俺のこと嫌ってるということ。天皇が、ブラピとジョニデが土下座をすれば、原爆のこと許すと言ったこと。などなど。いくら暴れてもいいように壁が柔らかになっている、全室白一色のあの部屋で。俺は保護房で独り。しかし、俺の中には、今まで死んでしまった人類の霊も居たし、宇宙人も居たし、ビートたけしも加藤綾子も居たし、綾瀬はるかも居たし、桜井日奈子も居たし、松っちゃんも居たし、外国では前のブラピとジョニデ、タランティーノにロバートデニーロ、ジャンユーグアングラード、と。今、井戸川敦が人類の中で一番精神的に苦しんだ男として、キリストよりも、ブッダよりも、はるかに強い存在として完成しそうなのだ。しかし、そのためには、どうしても、オウム教の存在を体から出さないといけなかった。俺はあぐらをかき、体の中心を軸に、右回りで体を回し始めた。腹筋に力を入れて、そして、何故かその時、思いついた曲、〈コンドルは飛んで行く〉を唸るように歌った。何時間、そうしていただろうか?保護房なので、時計など一切無く、隅に便器だけが据え付けてある何もない部屋で、全力で麻原彰晃のお守りさんを体の中から出すために、とにかく歌い、とにかく体を回し続けた。声はだんだんと大きくなり、回す速さもどんどん速くなった。そして絶叫とも言えるぐらいに声が大きくなった時に、前にドスンと麻原が転がった。ついにやった!!ついに麻原彰晃のお守りさんを出すことができた。ずっと俺を苦しめ続けていたオウム教から狙われなくなるゾ!!そう思い、凄く嬉しかった。しかし、甘かった。麻原のお守りさんは、俺の体の後ろから、『よっこいしょ』と言ってまた入って来たのだ。これにはビックリした。せっかく出したのに・・・。何で・・・。戸惑っていると、麻原から、『ゴメンネ!!お前の場合、フリーなん だ。普通の人は、皆、それぞれのお守りさんが居て、悪い霊から取り憑かれないようにしてるし、他のお守りさんから負けないようにしてるから、出入りは難しいんだけど、お前の場合、そこがフリーになってるんだ。何故か。でも、俺が、出されないように頑張ってたのによく出したな。ウケる。』と言われた。何時間も頑張ってやっと出したのに・・・結局元どおり。あぁ、今思い出しても麻原は面倒臭い存在だった。あとウザかったのは、ブッダとキリスト!!体の左側はブッダ、右側はキリストが入っていたのだが、自分達より宇宙でもお守りさんの世界でも有名になった俺に嫉妬していたのだ。だから何につけても凄く邪魔をして来た。ブッダやキリストだけでなく、他の地球上の神と呼ばれている存在全てが俺に嫉妬してて、邪魔ばかりして来ていた。人類一、断トツで、精神的に苦しんだ人間として、神を上回る力を獲得した俺は宇宙の色んな存在と戦うようになって来ていた。それは星や宇宙人やブラックホールなどだった。星の中でも超新星は特別強かった。戦い方は・・・文章で説明するのは難しいけど、まず、息をめいっぱい吸い込んで、お腹にめちゃめちゃ顔が真っ赤になるほど力を入れて膨らまし、下腹部のチャクラの部分に意識を集中してそのままキープ。すると・・・頭の血流がお腹の方に行くので、限界まで行くと、一度お腹に行った血流が一気に頭に戻って来て、幻覚が見えたり、幻聴が聴こえたりするのだ。その時、一点を集中して見てると、色んな存在が戦いを挑んで来て、目線を動かそうとする。だけど、俺は絶対に目線を動かさなかった。どんな強い存在が入って来て、俺を操ろうとしても、絶対に目線は外さなかった。この、井戸川式ヨガとも井戸川式瞑想とも呼べる運動は、今でも続けてる。毎日。その頃はお星様とよく話してた。太陽さんはいつでも優しかったし、お月さんはロマンティック、だけど地球さんだけは自然を破壊するので、人類が嫌いで、俺も嫌われていた。あ、そうだ、愛さんの存在は忘れる訳にはいかない。いつだったか忘れたけど、そっと俺の中に入って来て、『煙草やめなよ』とか、『もっと栄養のある食べ物食べなよ』と、俺の健康を気にする存在が居た。それが愛さんだった。愛さんはいつも、俺を助けてくれ、応援してくれた。愛さんはあったかくてとてもお茶目だった。愛さんは、地球さんに、『アツシさんが第三次世界大戦を止めてくれたから、人類も救われて、地球さんの寿命も延びたんだよ。だからアツシさんを嫌わないでよ。人類を嫌わないでよ。』と言ってくれた。それからは地球さんも俺や人類を嫌わなくなった。味方になってくれた。愛さんが俺の中に入ってから、俺の味方になった存在がたくさん居た。でも、それでもこう考えてみると、俺の敵は凄く多かった。芸能人のお守りさんは皆、俺が芸能人になると(なる気はさらさら無いけど)芸能界の縮図が変わるので、全員一丸となって攻撃して来て、芸能人になれないようにするために、俺の体の中に入り込み、体を操って顔をボコボコに殴ったりしてたし(顔の形が変わった)、ヤクザは、俺はよく知らないけど、2つに別れた山口組のどっちに味方するのか聞いて来たり、芸能界と一緒に顔をボコボコに殴ったり、原爆の被害者やアウシュビッツの霊が『絶対俺達の苦しみの方が上だ』と言って最後の方まで認めてくれないで顔をボコボコに殴って来たし、フリーメイソンも顔をボコボコに殴って来てたし、自殺した兄貴も顔をボコボコに殴って来てたし・・・てゆーか、自分で自分を殴ってたんだ、俺。自分で自分を止めることも出来ずに。顔パンパンに腫らすぐらい。今でも右の頬骨はデカくなって盛り上がってる。そうゆう、人間のお守りさんの敵も多かったけど、悪魔だったり、化け物だったり、悪い宇宙人だったり、悪い星だったり、そういう人類じゃない存在までもが俺の敵だった。もうそうなると、『ノッチでーす』と言いながら現れたことのあるオバマとか小者に思える。その時に俺の中に入っていた存在はどれぐらいの数だろう?宇宙人も合わせたらとんでもない量になるだろう。いや、人類や宇宙人だけじゃなく、あらゆる存在、例えば地球さん、いくつものお星さん、自然さん、海さん、昆虫さん、植物さん、動物さん、などなど、例に挙げるとキリがない存在が俺の中に入っていた。皆がそれぞれに色んな話をしてくれた。それで分かったことは、俺が、サルから人間になった一番初めの存在だということ。俺はニホンザルだった。四足歩行のサルだった。ある日、たまたままん丸い石を手に取った。それは隕石だったらしい。ほぼ完璧な丸い石。石と言うよりそれはもともと星だったらしい。左手に握った瞬間からもう手から離れなくなった。それで四足歩行が出来なくなり、太古の俺は二足歩行を始めた。だから、俺は人類最古の人間でもあり、最先端の人間でもある・・・ということだった。そう言えば、その石、ずっと俺の体の中に残ってたのに、埼玉かどっかのジョンレノンミュージアム開館式で俺がオノ・ヨーコと握手した(事実)時にヨーコに取られたんだった。いつか、もう一度会って取り返さねば。ヨーコで思い出したんだけど、俺、第三次世界大戦を止めた存在だったんだ。トランプを当選させたのも俺らしい。クリリ〜ント〜ン♪だったら戦争になってたらしい。ラブ&ピース、それが俺のモットーだから。それは完全にジョンレノンの影響だ。俺にとってはジョンが神様だ。俺がそう言うと、いつもジョンが、お前の方が上だよって言ってくれる。でも、俺が東京で失恋して自殺しそうな所を助けてくれたのは、ジョンの〈ジェラスガイ〉だった。狂ったように〈ジェラスガイ〉だけを聴いていた。命を助けられた。てゆーか、自殺と言えば、俺、兄貴が自殺してるから、自殺する以上の苦しみを何度も何度も乗り越えて来たよ。3人兄弟のうち、2人が自殺するなんてあり得ないから・・・普通の人だったら確実に自殺しているような苦しみを何度も乗り越えて来た。まぁ、いいや。これからの人生、絶対に絶対に、良い方向に進んで行くんだから。広大なる銀河系、その遥か向こうの向こうで、色んな宇宙人が参加する会議、宇宙会議が開かれているらしい。そしていずれ、俺の子孫が、地球代表で参加するらしい。それを心から待ち望んでる宇宙人達が居るらしい。誇大妄想って凄いよね。自分がそんな存在だと信じるんだから。狂ってる時だけだけど。今は、精神安定剤を飲んでるからそんなこと、ただ俺の妄想だったと考えられるけどね。だけど、そんなもんじゃなかった。誇大妄想。ある日、またまたビックリする幻聴が聴こえた。『そこの宇宙だけじゃなく、こっちの宇宙にもお前のファンはいるからな』まさかと思った。この宇宙だけじゃなく、別の宇宙も存在するのだ。すぐに、『こっちの宇宙でもお前は有名だよ』『こっちも』『ここもだよ』宇宙がたくさん。話していると、色んな宇宙があるらしい。紫色の宇宙、二次元の宇宙、何もない宇宙、それぞれの宇宙が話しかけて来た。そして、最後にこの今、俺が居る宇宙が話しかけて来た。『実はこの宇宙はそんなにいい宇宙じゃないんだ。ブラックホールもあるしな。黒が基本の宇宙だからな。俺はお前のこと嫌いだし、でも良かったな、お前の存在で、地球は未来には、フリーダムになるらしいぞ。言わば天国だよな。そうしたのは、お前が、人々の苦しみを一手に引き受けて苦しんで苦しんで、その苦しみを乗り越えたからだよ。お前がラブ&ピースを貫いたからだよ。頑張ったな、アツシ』俺は、自分が何故そんなに凄い存在なのだろう?と深く考えた。場所は病院のベッドの上。宮崎のT病院だ。俺は福岡刑務所を狂った状態で1年間過ごしたあと、もう一回福岡放浪生活を送り、宮崎に帰って来て、今度は宮崎で宮崎放浪生活を経て、一番街で弾き語り中にいきなりモナコパチンコのシャッターに後頭部をガッシャンガッシャン打ち付け続け、警察が来るまでやめず、暴れたため、保護入院という、県知事が承認する入院形態で入院したのだ。その間も、福岡の警固公園でキリストと同じように磔にされる妄想とか、宮崎で首を吊る木を探して回ったり、苦しみは続いたんだけど、その頃の妄想話は、また今度にします。とにかく、T病院のベッドの上。井戸川式瞑想をしてると、急に、自分の中の中、奥の方から「1」というメッセージと言うか念というか、どこからか沸き起こった。俺の存在を表すものだった。俺は「1」という存在だったのだ。無→ゼロの状態から、一番最初に出現した存在。全てを生み出した元。「1」。俺が現れて、俺が一つ一つ生んで行った。全てを司る神みたいな存在だったのだ。俺は、俺が生まれて1番最初に愛を作ったんじゃないかな?と思ってる。愛を。俺の誇大妄想も、病院で薬をまた飲み続ける内にだんだんと薄れて行った。また単調で普通の人生が始まった。結局の所、俺は生活保護の精神障害者。金も無い、彼女も居ない寂しい神様。でも、これからの人生、何があるか分からんもんね。歌で有名になれるかもだし。頑張ろう。取りあえず、病院の中でできることから始めよう。そう思って、俺は、朝から晩まで廊下を歩くことから始めた。毎日毎日、くたくたになるまで歩いた。歩くのは俺のライフワークだ。インドでもオーストラリアでも、東京でも福岡でも、いつも歩いていた。歩くのっていいね。廊下を歩いていると、同じように朝から晩まで歩いてる女の娘が居た。朝から晩まで。その娘に話しかけたよ。趣味の合う、可愛い女の娘。これからもよろしくね、みゆきちゃん!!そして、こんな狂った俺なんかの文章を読んでくれた方々、どうもありがとうございます。俺は、今、現在は、安定剤を飲んで、落ち着いた生活を送っています。そして、最近になってやっと、自分で歌を作るようになりました。今までの経験を活かして、いい歌を作れるようになりたいです。もし、俺の歌で、俺がジョンレノンの〈ジェラスガイ〉で救われたように、人々を救えることが出来たなら、そんな嬉しいことはありません。宮崎人らしく、てげてげで、のんびりと、だけどコツコツと、夢に向かって歩いて行こうと思います。輝かしい未来へと、歩いて行こうと思います。ラブ&ピース。」

井戸神とわたしは〈歩こう会〉を作って、約2ヶ月間、毎日あちらこちらへ歩きに行った。梅雨前の明るい季節だった。文化公園、平和台、空港、宮交シティ、サンビーチ一ツ葉、科学技術館、市立図書館、宮崎港、博物館、大淀川学習館、フェニックス自然動物園。いろんな所に行ったね。朝から晩までとにかく歩いていた。歩きながら井戸神の作った曲「限りなく幸福に近いブルース」を歌ったりした。そういえば、早朝の高千穂通りを歩いていたら、井戸神がいきなりしゃがんで小さな黒い物体が入ったビニール袋を拾っていた。そして、「なーんだ!チョコ(薬物の隠語)かと思った!」って言ってて面白かったな。
その頃に始まったのは「ビートルズ・イントロ・ドン!」だった。ビートルズの曲を鼻歌でうたって、曲名を当てる遊び。
神「イントロドン!トゥトゥトゥートゥトゥダンダンダー!トゥトゥトゥートゥトゥダンダンダー!」
私「フロムミートゥーユー?」
神「すげー!当たり!」
神「イントロドン!ズッチャーラズチャーラ、ズッチャーラズチャーラ!」
私「タックスマン?」
神「またまた大当りー!凄ーい!」
なんかこんな事を延々とやってた。ビートルズは井戸神とわたしの架け橋みたいなものだった。今振り返ると、出逢ったばかりの病棟で印象的だった事がある。ビートルズの「Happiness is a Warm Gun」の話をした時、この歌の歌詞には複数の意味がありますね?って話題になって、話をしながら井戸神は左腕に注射器をブッ刺す仕草をしたのだ。痩せた顔にほほえみを浮かべて。しかも、その腕に刺青を消した痕があったのを見て、わたし、ちょっと戦慄した。やっぱり、この人、ヤバい人なのかな、って。
井戸神は全方向に優しい。女の子に優しいのはもちろんのこと、老若男女、猫にはめっぽう優しい。一見するとヒッピーみたいな容姿をして猫をめでる姿は神々しい。まさに神である。「ブッダよりもキリストよりも誰よりも苦しんだから、俺は強い」。そう話した井戸神は怖かった。わたしは神を信じないが、井戸神は信じる。今も生きて歌って髪をなびかせて目の前にいるからだ。
閉鎖病棟には「あっち側に行ってしまった人々」が割といた。話が通じずぶっ飛んでいて切ない存在の人々がいた。ある日、病棟内を散歩していたら、何度も「いま何時?」とすれ違う人に聞きまくる老婆がいた。わたしの前にも立ち止まって、人を吸い込みそうな虚無の目をして聞いてきた、「いま何時?」。一瞬うろたえつつわたしは答えた、「一緒に時計を見に行こう?」と。その老婆とふたりで時計を見に廊下を歩いていた時、井戸神とすれ違った。わたしたちの様子を見ていたらしく、顔を見ると心配そうな様子をしていたが、すぐにほほえみに変わった。その時、井戸神と心が通じた気がした。たぶん、気のせいだけど。 井戸神に聞いても、このエピソードは忘れてると思う。忘れっぽい神様なのである。TSUTAYAの返却期限を忘れる。週3の訪問看護の日を忘れる。わたしの誕生日も忘れてる。
なんとなく危うい綱渡りみたいな人生よね、井戸神の人生って・・・ああ、しみじみ。そう感慨深くなり、今となりに座ってる井戸神を見た。 井戸神は言う、「おぐらのチキンカツカレー食いたいな!!」。
すぐにお腹がすく神様、井戸神様である。世界が終わる日の夜、おぐらにいるはずだ。たぶん、本店の方。おぐら本店。 ーー井戸神の話はここで終了。彼は今も歌ってる。踊ってる。叫んでる。自転車こいでる。いつだってラブアンピースだから。また一緒に歩きたいな。ありがとう、井戸神。輝かしい日々が始まったね。

井戸川敦
緒方みゆき

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