生きるっつうのは。
「あなたの5年後、10年後のビジョンを教えてください。」
僕の苦手な言葉の1つだ。
言い換えると、いまいち描けていない。
正直に言ったら言ったで
「それ弊社じゃなくてもよくないですかー?」
と言われた経験から自信が持てない。
ビジョンは間違いなく僕のものなのに、
いざ面接になると面接官が納得するようなビジョンを言う方が吉なのか?
と考えてしまう自分にも嫌気がさす。
そして逆質問で
「◯◯さんはどういうビジョンを描いているんですか?」と聞くと、
自信満々に自身の入社動機を語った面接官の顔はもう忘れたが
「いや、あなたの回答ズレてますよ。ビジョンねえのかよ」
という心の叫び、伝わってたらいいな。
あ、転職活動の話です。
そんな状況の中(まあ上手くいってない)本屋で手に取った
『笑いのカイブツ』/ツチヤタカユキ
なんだか心に刺さるものがあった。
ケータイ大喜利やオールナイトニッポンなどでの圧倒的採用数から『伝説のハガキ職人』と呼ばれ、現在は小説家として活動する著者の自伝的小説。
人気漫才師オードリーの座付き作家としても活動していたようだ。
・1日に2000個のボケを考える
・演者不在の漫才・コントを120本書いた
など『人間からはみ出る』ような常軌を逸したツチヤタカユキ氏。
笑いに取り憑かれ、笑いで自らの存在意義を見出せず、笑いの世界でしか呼吸できず、そして評価されない彼の胸中の描写は切なさを感じさせられた。
社会性や人間性を削ぎ落としてまで賭けてきた笑いのための時間が社会では
”ノーカウント”つまり何の評価にもならない寂寞の思いの表現は胸が苦しくなる。
自分に正直に”生きていく”ことは苦しい。
人間は常に社会通念がつきまとう。
「こんな自分がいい」と描く自分に対してもう1人の自分(社会・世間の目がきになる)が「やめとけ。それで食っていけるのか?そのいばらの道を歩む覚悟があるのか?」と囁く。
敢えて”生きていく”と表現したのは、
いく、の部分に生きると言う意味の中にも意志があると思うからだ。
つまり”生きていく”ということは
自らの意思を貫かんと、社会や世間の常識や、それに巻かれた方が楽だと思う気持ちと闘うということだと思う。
またその覚悟をするということ、ともいえる。
誰もが自意識と社会性の中で揺れ動きながらも
社会性を選び生きる。
この本は己の存在を証明するために
血みどろになりながら己の外の世界、そして己との闘いを描いた小説だ。
生きていく、ということは傷つくことかもしれない。
ビジョンか。
傷ついてでも進みたい5年後、10年後のビジョンか。
血みどろになってでも叶えたいビジョン。
ますますわからなくなったよ。
ただわかったことが1つだけある。
面接官に納得してもらえるような回答するのはやめよう。
正直な気持ちを言うしかない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?