尾崎 集

一休.com→シンクトワイス株式会社。新卒の就活エージェント。

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最近の記事

おっさんになるっつうのは。

「おっさんという存在自体が気持ち悪い。」 僕の身近な20代の女性が嫌悪感を丸出しにし言った。 聞けば電車で近くになること、匂いも嫌で接近することがとんでもないストレスらしい。 おっさんになる運命を避けられない男性である私は反論した。 父も立派なおっさんであるし、長男の私は少し運命への抗いも兼ねた。 痴漢されたことはないらしい。 「電車のおっさんがお前になにをした?なんか迷惑でもかけたか?」 彼女は冒頭の言葉を再び言う。 「だから…生理的に無理やねん。」 生理的に無理だ、

    • 喫茶店で悩みを話し、感じたこと。

      非常に行きたかった企業の選考に落ちのメールを見て、 なぜか僕の足は行ったこともない地元の喫茶店へと向いた。 駅までの道のりで見たことあるくらいのその喫茶店は 完全なる地元密着型といえるお店で、お年寄りしかいない。 とりあえずアイスコーヒを注文し、頭をリセットしようと本を読んでいたのだが、先述のショックから内容が頭に入らない。 それでもムシャクシャした気持ちを成仏すべく、 感じていることをひたすらにメモしていた。 1時間くらいだろうか、カウンター越しに綺麗なウェイトレス

      • 生きるっつうのは。

        「あなたの5年後、10年後のビジョンを教えてください。」 僕の苦手な言葉の1つだ。 言い換えると、いまいち描けていない。 正直に言ったら言ったで 「それ弊社じゃなくてもよくないですかー?」 と言われた経験から自信が持てない。 ビジョンは間違いなく僕のものなのに、 いざ面接になると面接官が納得するようなビジョンを言う方が吉なのか? と考えてしまう自分にも嫌気がさす。 そして逆質問で 「◯◯さんはどういうビジョンを描いているんですか?」と聞くと、 自信満々に自身の入社動機を

        • 外で飲むコーヒーは高い。

          金がない。 金がないと気分転換をする権利もあったものじゃない。 外で飲むコーヒーは高い。 某コーヒーチェーンでは320円する。 家で飲むコーヒーが1杯10円だと考えると、単純に32倍。 320円はコーヒーそのものでなく 「外で腰を落ち着ける」といった部分にも価値があるとジョブ理論的には当てはまるのだろうが、そんなくだらない計算をするほどに金がない。 体に不調があるときに逆説的に”健康の価値”を感じるのと似て、 金がないときにお金の価値に気づく。 まあ体調不良が治れば、

        おっさんになるっつうのは。

          山里亮太版『人間失格』

          「恥の多い生涯を送って来ました。」 「気がつくと身に覚えのないピザを食べた跡が目の前にあった。」 前者は太宰治の『人間失格』、 後者は山里亮太氏の著書『天才はあきらめた』 の書き出しだ。 今日は後者の山里亮太氏の『天才はあきらめた』を紹介したい。 本書は山里亮太版『人間失格』だと感じた。 冒頭に本家の『人間失格』の書き出しと並べたのはそのためだ。 類稀なツッコミのワードセンスだけでなく、 女優の蒼井優さんとの結婚で世間を驚かせた(希望を与えた)山里氏。 本書は山里氏の

          山里亮太版『人間失格』

          速読からの、解放。

          読書は自由だ。 大人になるにつれて薄れつつあった感覚を呼び覚ます本と出会った。 京都大学在学時のデビュー作『日蝕』で”三島由紀夫の再来”と謳われ、 『マチネの終わりに』、『ある男』の著者として知られる平野啓一郎氏による 『本の読み方〜スロー・リーディングの実践』 を紹介したい。 本屋のビジネス本や新書コーナーで必ず目にする ”速読” の反対であるスロー・リーディングを提唱する内容だ。 スロー・リーディングとは読んで字の如く、ゆっくり(じっくり)読むという手法。 本書

          速読からの、解放。

          駅トイレで正念場を迎えた男。

          人生の岐路はいくつもある。 大抵が「あそこが岐路だった」とわかることばかりだ。 しかし稀に「ここは人生を左右する」と感じられる時もある。 「すいません…代わってもらえませんか…」 就活生と思しき学生風の男は, 私の袖を掴み、蚊の鳴くような声で懇願する。 私は初めて、人生の正念場を迎えた”漢”の顔を見た。 まるで「今から歴史を変えようとする漢」のような形相であった。 その歴史を変えようとする顔を見て、 私の脳内には大河ドラマ『真田丸』のオープニングのBGMが流れた。

          駅トイレで正念場を迎えた男。

          ホームランの打ち方。

          「ホームラン!」 私にとってホームランの思い出は10年以上前、 中学2年生まで遡る。(大学時代は試合にも出れずじまいだった) 初めてホームランを打った感触は、今でも覚えている。 ベースを回る自分に注がれる視線が心地よかった。 また数少ない「野球が楽しい」と思える時間だった また毎晩取り組んだ父との素振りが報われた、素直に嬉しい時間だった。 そんなことを思い出したのは ベストセラー『嫌われる勇気』著者で古賀史健さんの記事を読んだから。 下記引用 仕事に置き換えていう

          ホームランの打ち方。

          書評:ボクたちはみんな大人になれなかった

          「なんや、この読後感は…」 そう感じさせられた小説を読んだ。 『ボクたちはみんな大人になれなかった/燃え殻』という作品。 描写力が凄いと感じた。 文章を読んでいると五感までが刺激され、脳外との世界が遮断されるような感覚になった。 ハンドルネームしか知らない女の子が、目の前で裸になっていく。こちらを呼ぶ時に「ねえ」としか言わない彼女も、きっとボクの肩書きしか覚えていない。 枕元の有線で宇多田ヒカルの『Automatic』が流れ始めた。 「ねぇ、懐かしくない?

          書評:ボクたちはみんな大人になれなかった