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直島【写真】ヴァレーギャラリー(草間彌生,小沢剛),再び

 約1年ぶりの、ヴァレーギャラリー(直島)。

 ベネッセハウスからは、徒歩でも向かえる。鑑賞料金も、ベネッセハウス ミュージアムの入館料に含まれている。


小沢剛「スラグブッダ88 -豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」

 ここには2人のアーティストの作品が展示されている。

 坂に沿って恒久設置されているのは、小沢剛「スラグブッダ88 -豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」(2006/2022年)。

 直島からも船で渡ることができる豊島(てしま)については、下記のような歴史がある。

かつては瀬戸内交易で栄え、集落には古い町並みが残っています。1970年代から始まった産業廃棄物の不法投棄は、全国的にも最大規模の産廃問題となりましたが、現在では廃棄物の処理も進み、環境の再生を目指した取り組みが続いています。

島々のいまを知る 豊島 より

草間彌生「ナルシスの庭」

 そしてヴァレーギャラリーの大部分を占めるのは、草間彌生「ナルシスの庭」(1966/2022年)。まずは池から。

 小径を進んでいく。

 息切れがする。自分の姿ではなく空を球に映して、少し休む。

 目の前には、さらに山頂を目指す道があって、

 見下ろすと、「ナルシスの庭」はこんな感じだ。

 一目で安藤忠雄建築ということが伝わってくる、ギャラリーへと向かう。

静寂のギャラリー

 ちょうど、前の鑑賞者たちが出て行ったところで、建物の中は静かだった。気配を消してくれている監視員さんを除いて人はおらず、風の音だけがする。

 陽の入り具合によって、球の輝きも変わる。

 背後には、こんな小部屋がある。

 一筋の陽光が、部屋の隅を輝かせていた。

 次の来訪者の声がしてきたのを機に、外に出ることにした。

増殖消滅する「私」の世界

 本作は、新宿区の草間彌生美術館でも鑑賞したことがある。

  ベネッセアートサイト直島のウェブサイトに、下のような記事が掲載されている。

(前略)境界や聖域とされる谷間に沿うように建てられた半屋外建築と周囲の自然で構成される本ギャラリーでは、作品とともにエリア全体のランドスケープを体感してもらい、改めて自然の豊かさや共生、根源的な祈りの心や循環・再生などについて意識を促すことを意図している。安藤が「小さくとも結晶のような強度をもつ空間をつくろうと考えた」と言う、祠をイメージし、屋根のスリットや切り込みにより、内省的でありながら、半屋外に開かれ、光や風など自然エネルギーの動きを直接的に感じ取れる。

その屋内外に展開する《ナルシスの庭》は、草間彌生が1966年のヴェネツィア・ビエンナーレでジャルディーニ会場の芝生に大量のミラーボールを敷き詰め、世界的注目を集めることになった作品である。日本代表としての参加ではなく、自ら事務局に直接かけあって場所をもらい、ルーチョ・フォンタナにお金を出してもらい*5、フィレンツェの工場で調達したというプラスチック製のミラーボール1,500個をイタリアパビリオン外の芝生に並べ、自身は赤いレオタードでそのなかに横たわった。その際、ボール1個を1.5ドルで販売したが、すぐにイタリア当局からの警告で催しを中止、残りの大半は盗まれたという*6。

そうしたゲリラ的なやり方だけでなく、商業主義への反発としてメディアに大きく注目されることになったが、今は、一回りサイズが大きくステンレス製となった約1,700個の球が、自然と拮抗することなく、山間の自然の変化や鑑賞者の姿を映し出しながら静かに揺れている。その様子は、単純なスペクタクル性を超えて、私たち一人一人がひとつの生命体として自然と一体化し、無限に拡がっていくような感覚を誘発する。

「命というのも、いずれは水玉によって輪廻転生し*7」、「私」は大いなる自然のなかで増殖し続けることで消滅、いつしか「私」の呪縛から解き放たれるのである。(後略)

*5. 「草間彌生インタビュー クサマがクサマであるために」『美術手帖』1993年6月号P16
*6. 前掲書 谷川渥「増殖の幻魔」『美術手帖』1993年6月P666
*7. 「草間彌生インタビュー」(聞き手:齋藤環)『美術手帖』2004年3月号 P35

大いなる自然のなかで増殖消滅する「私」

そして強い陽射しの下へ

 屋外へ。

 そして、来た道を戻る。

 強い陽射しの下へ。



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