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人混みゆえに,細部に気づく -村上隆[もののけ京都]

 友人たちと某所の古民家で夏を愉しみ、解散のあとで京都、大阪、名古屋に一泊ずつしつつ、美術館の梯子をして帰京。

 某日、京都。平安神宮。




会場外の、超大型作品×2

 美術館入口から展示室までは距離があり、階段を上った先のホールには、

 2体の鬼の像が、あたかもゲートキーパーのように立っていた。

 その先のガラス越しには、こんなようすが見えて、

 外に出てみれば、そこは記念撮影スポットのような賑わい。

 「お花の親子」と、

 ルイ・ヴィトンのトランクの巨大インスタレーションだ。


人を鑑賞しているような混雑のなかで

 いよいよ、入口に着いたわけだが、

 そこには、予想をはるかに超えた世界が広がっていた。

 特に、追加展示の祇園祭礼図の前は、初詣か夏祭りの神社の参道、という感じの混み方だ。

 時間制入場といった措置もとられておらず、事前のネット購入にも制限がない。加えて京都市在住の大学生以下は入場無料。

 そんな時期にわざわざ出かけていくことが、無謀だ。それは前提としても。

 鑑賞者の鑑賞環境・満足度と、入場人数をたたき出すことはトレード・オフとなる面があるわけだけど、夏休みは入場者数カウントから見れば、数の稼げる時期だ。公式サイトの「入場者〇〇万人を超えました!」という書き込みを思い出してしまった。

 過去作品のところは比較的すいていた。


斜めから観る作品?

 後半にゆくにつれて展示室も大きくなり、人混みもだいぶ緩和されてくるものの、

 今度は、会場のスペースが気になりだしてしまった。絵を観るとき、近づいて細部を観たり、遠のいて全体を観たりする。また写真撮影自由な会場で、鑑賞者は、作品全体をカメラに収めたいと思う。

 この会場にはせっかく大作があるのに、作品全体が観たいときに、遠ざかるとすぐ反対側の作品に行きついてしまう。「引き」の広さが足りず、斜めから観ることになる。


細部の美しさに集中してみる

 これで、もし作品にも惹かれないのであれば、「夏休み時期に出かけてしまった、いろいろ残念な展覧会」として、早々に去っていたと思う。

 しかし、そうするのには、本展は面白すぎるのだ。

 それに、そもそも。

 じゅうぶんな展示スペースのある2015年の森美術館の展覧会には何度も足を運んだが、そもそも自分はそのとき「細部」を観ただろうか? 逆に「全体」しか観ていなかったのでは? という気すらしてきた。


はじめに戻り、細部をきちんと観る

 どうせ混みあっているのだ。監視員さんたちの「順番はとくにありませんので、どうぞ空いているところから……」(苦肉の策?)、のお言葉に甘えて、来た方向に戻った。

 今度は「比較的すいている場所」で、作品の細部に集中して、鑑賞してみることとした。

 なるほど。

 やはり、わたしは人混みの中で、見えない「全体」を求め、それに集中していた。「細部でいいから、ちゃんと観てみよう」と観かたを変えてみたことで、見える世界が違ってきた。


「混雑する美術館」の愉しみかた

 普段は、混みあう時期に旅行などしない、美術館にも行かない。

 ただ、人にもまれながら観る作品にも、愉しみ方はあるのだということに、今回気づけたような気がする。

 そしてそこにはもちろん、作品そのものの力が欠かせないのだ。



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