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雑記

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つめあわせのすすめ

つめあわせのすすめ

 唐突になんのこっちゃと思われるかもしれないが、noteでAmazonの商品をお勧めできると知って、私が最近よく使うのはむしろこっちだなと思い、いろいろな詰め合わせセットをご紹介したいと思う。

 まずは菓子類。小腹の味方にして子供のヒーローたるお菓子セット。Amazonではこの詰め合わせが尋常ならざる種類に上って用意されている。
 こと近年はハロウィンなる風習のおかげで、今の時期力の入れ具合が違

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正しき三方を、

正しき三方を、

 大手総合商社、伊藤忠商事の創業者である初代伊藤忠兵衛は、伊勢大阪と並ぶ三大商人のひとつ、近江商人の家に生まれ、1858年に15歳で持下り商(いわゆる行商人)として開業。肩に担ぐ天秤棒一本で麻布などを堺や紀州に売りに行き、行った先の産物を仕入れては、また持ち戻って売っていたという。
 1872年、大阪に呉服店を開業。その折、店員たちに説いた言葉がある。
「商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り

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追悼・すぎやまこういち

追悼・すぎやまこういち

 印象深い場面を覚えている。何年か前、TVが密着取材した時、コンサート開演前にソファに座り、楽譜を開いてイメージトレーニングのように指揮棒を振る、すぎやまこういちの姿だ。
 が、その直後、カメラに向かってにっこり笑いながら
「普段こんなことしないんだけどね?アハハハ!」
 やられた。常に人を楽しませることに砕身する、生粋のエンターテイナーがそこにいた。
 耳への功績のみならず、人柄や表情も強く記憶

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ガツンと聞くことないじゃない

ガツンと聞くことないじゃない

 同僚と大衆酒場を訪れた会社員、伊藤正之(37)は軒昂と語る。
「グローバルとかなんとか言ってるけどさァ、日本ってやっぱ世界で舐められてるじゃない?いっぺんガツンと言ってやんなきゃ駄目よあいつらに」
 捲し立てつつ、眼鏡をはずしておしぼりで顔をふきながら続ける。
「俺だったら言っちゃうよ?ガツンと言っちゃうよ?俺そういうタイプだから」
 拭き終えたおしぼりを投げ、眼鏡をかけ直す。と、そこには合衆国

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ひとりひとりの

ひとりひとりの

川崎洋の詩『存在』を教わった。

「魚」と言うな
シビレエイと言えブリと言え
「樹木」と言うな
樫の木と言え橡の木と言え
「鳥」と言うな
百舌鳥と言え頬白と言え
「花」と言うな
すずらんと言え鬼ゆりと言え

さらでだに

「二人死亡」と言うな
太郎と花子が死んだ と言え

『死者◯◯名』といった、数字にまとめられてしまうような事故や災害を目の当たりにするたび、この詩が浮かぶ。あの日もそうだった。

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閑話9題

閑話9題

 さて今回の話は、ゲームとも時事とも何ら関係のないことなのだが、先日得た知見が面白かったので、一席お付き合いいただきたい。
 いつも持って回った文章を書きがちなのだが、今回はまず結論から語ってしまう。

 ここに、0.99999……という、9が無限に続く小数があるとする。
 この数字は、1と等しい。
 そういう話である。

 キョトンとされている方も多かろう。1は1以外に存在せず、少しでもズレたら

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生生流転

生生流転

 コラムニストの唐沢俊一は、漫画家の高橋留美子がデビューして間もない頃、一度だけファンレターを書いた。

「これかどんどん売れていくと、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お体にはおご注意ください」

 後日、高橋から返事が来た。

「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対潰れませんからご安心ください」

 唐沢は思わず天を仰いだという。

 その後の高橋留美子の活躍をご存知

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DEATH STRANDING評

DEATH STRANDING評

 昔、揶揄を帯びた都市伝説として語られていた「大御所漫画家は目しか描かない」という言葉があった。
 私はそれを聞いてむしろ寒気を覚えるほど感動した。目しか描かない作品に自分の名前を載せて全責任を背負えるのか、と。
 やがてそれは週刊連載においてほぼ当然の仕組みであることが広まり、今ではほとんど語られなくなった。

 大作を四畳半で作れた時代も今は昔。ゲーム製作は数百の人間と数百億の金が動く大事業と

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わくわく

 ある日、映画監督の黒澤明がスタジオに入り、日本家屋のセットをみて言った。
「あの軒にさ、鳥籠吊るせないかな」
 当然んそんな用意はない。スタッフは大慌てで作るが、撮影は一向に始まらない。1日が潰れかけた頃、ようやく完成した鳥籠をスタッフが軒に吊ると、監督は一言。
「やっぱりいらないか」
 撮影は何事もなかったかのように始まった。
 自らの仕事に一分の妥協もせず、かくして生まれた作品群は、フィルム

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花として

花として

昭和39年10月24日。ある青年が食堂に入り、カツ丼を注文する。待っている間、据付けられたテレビに目をやると、様々な年齢、人種、国籍の人々が、肩を組み、歌い、踊り、泣き、笑っていた。東京五輪の閉会式だった。
「国境を超え、宗教を超えた美しい姿があります。このような美しい姿を見たことはありません。泣いています……笑っています」
 青年は出されたカツ丼に手もつけず、その光景にただ涙した。
 青年の名は

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雨あがれ。

 江戸川柳に「流行り風邪三井が店に子半年」とある。
 三越百貨店の前身である三井越後屋呉服店は、当時としては画期的であった正札販売などの新商法を次々打ち出し、江戸随一の大店になった。
 働く小僧も多いので、一人が風邪を引けば移りつづけて半年は誰かが風邪をひいている。という、越後屋の繁盛ぶりを皮肉った川柳だ。

 昨年11月に初検出され、半年を間近にしてなお猛威が止まらない。新型コロナウイルスの感染

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追悼・志村けん

 口承文芸学者の小澤俊夫氏は、子供が小さかった頃、クリスマスに皆でツリーを飾ろうと、庭に樅の苗木を植えた。
 苗木はすくすく育ち、立派な三角形を描いた。小澤氏も満足であった。
 ところがある日、小澤邸にやって来た出入りの植木屋が、その樅の幹を上から4分の1ほど切り取ってしまったのだ。哀れ樅の木は無様な台形を晒すこととなった。
 さしもの温厚な小澤氏もこれには怒った。だがやがて樅の木は、その頂から再

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2019年ATUSIのnote閲覧数トップ5

えー、かれこれ5年ほど大みそかの夜まで仕事して数日休んでまた仕事という生活をしてまして、年の瀬感を感じる機会が川崎大師のCM見てる時くらいしかなくなってしまいました。(やってますよね?まだ)
そこで年末っぽく、2019年の私のnoteを、閲覧数の多かった記事から勝手に振り返りたいと思います。

第5位メシコンテンツ強しです。そして宇都宮の餃子はハズレなしでした。また行きたいです。

第4位本当にご

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パトレイバー外史

1.時代背景

 小説、漫画、映画、論文、企画書。あらゆる思索の成果となる表現物は、まず書くもの が生きる瞬間に立脚するものである。 片手に収まるサイズのガラスと金属でできたデバイスで、世界中のあらゆる情報をリ アルタイムに送受信できるという物語も、100年前の人間が書けば超未来的なSFと言われ るだろうが、今の人間が書けばただの事実でしかない。
 作品の性質と評価を誤らぬために、その作品が

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