世界遺産とは?西洋的価値観との戦い
「テレビで見たあの世界遺産を見てみたい!」と、イタリア、スペイン、ギリシャには、世界中から人が押し寄せる。
ヨーロッパは歴史が長く、世界遺産はそこら中にゴロゴロある。
では、身近なアジアに目を向けてみる。
日本のお隣、台湾には世界遺産がない。と聞いて驚く人はどれくらいいるだろうか。
台湾には、世界遺産に相応しい建造物も、熱帯気候特有のエキゾチックな自然も豊富にある。
しかし、台湾は国ではない。たったそれだけの理由で、世界遺産に加盟することが許されない…。
世界遺産って一体何のためのものだろうか。
私自身、かつて「世界遺産」という名をつくものに、盲信的な信頼を寄せていた。ヨーロッパに住み始めた頃は、見放題の世界遺産に心が踊った。
しかし、次第に目が肥えてくると「なぜヨーロッパには世界遺産が溢れるほどあるのか?」と疑問が湧いてきた。
調べてみると、世界遺産が多い国・少ない国の偏りがあるばかりでなく、欧米人が、遺産の認定を司っていることがわかってきた。
なのでこの記事では、
・世界遺産の価値
・遺産数の格差の実態・その理由
・西洋 vs 日本の文化的価値観の違い
を見ていきたい。
そもそも世界遺産に限らず、現代のスタンダードと言える文化・芸術・歴史、ひいては学問まで、西洋がリードし、作り上げてきた。だから世界遺産の数に格差があって当然かもしれない。
しかし、そんなヨーロッパ中心の世界で「無形の文化遺産」については、日本が舵をとって条約ができている。まさに歴史的快挙だ。
西洋的価値観を飛び越えて、日本がまとめ上げた無形遺産の話も紹介したい。
それでは、世界遺産を紐解いていこう。
世界遺産が持つ価値
エジプトのピラミッド、広島の原爆ドームなど、メジャーな世界遺産になっているものは、ほとんどが「有形の文化遺産」と呼ばれる。
発足からすでに40年。登録された文化遺産の数は、2021年時点で約900件ある。肥大化しすぎた世界遺産をさらに厳選するために、今では「スーパー世界遺産」という概念すら出てきている。まるで「スーパーひとし君」のようだ(笑)。
発足時にUNESCOが掲げていた理念は、崇高だった。
「危機に瀕する普遍的な価値を持つ遺産を、世界で保護・維持しよう」というものだ。
今でも変わらぬ理念の元で運営されているが、前トランプ大統領時に米国のUNESCO脱退が決定され、改めて、その意義が問われることになった。
増え続ける遺産に、国のGDPで決まる分担金(≒会費)は億を越える。
そこまでして文化遺産をみんなで守る意味はどこにあるんだろうか?
「文化遺産」の定義は、こうだ。
遺産に関係するしないに限らず、感動をもたらすからこそ、世界遺産が人々を魅了して止まないというのは納得がいく。
世界遺産になった富士山を、例にとってもわかりやすい。
富士山は、日本にある山の一つだ。しかし、それをわざわざ新幹線に乗り見に行く外国人が後を立たないのは、富士山が日本人にとっての「精神性の象徴」で、万人に感動をもたらすからだろう。
富士山は日本人の遺産だが、同時に人類共通の遺産なのだ。
誰かが言っていた。人間は深い感動を覚えることで精神が磨かれ、人生が豊かになる感じる。
「感動」こそが世界遺産が持つ価値と言えるのかもしれない。
遺産数の格差の実態・その理由
下の地図は、世界遺産がどこにあるかを示している。ちょっと衝撃的ではないだろうか。
遺産は世界中にあるが、西ヨーロッパの密度は異様だ。決して大きくない面積に、点が集中している。
遺産数は、欧米が468件と断トツ1位で、2位はアジア太平洋の195件。1位と2倍以上の差がある。(2021年時点)
そう、明らかにヨーロッパに集中しているのだ。
歴史の問題なのか?文明による差なのか?経済的なものなのか?
書籍「世界遺産ビジネス」によると、経済的な要因もあるが(申請には多大なコストがかかる)、なによりも、遺産の審査メンバーの偏りにあると言う。
審査メンバーは、8割(2015年時点)がヨーロッパの価値観で育った人たちである。もちろん"普遍的価値観"を評価できる、一流の専門家達である。
しかし、”価値観”というものは生まれ育った環境に大きく左右されるものだ。西洋の価値観で育った人が、"非西洋"の文化(価値)を正当に評価することはどうやっても難しい。
なぜなら、ある文化(例えば日本)で"価値"があるものは、時として、別の文化(例えば西洋)では"無価値"になることがあるからだ。
世界遺産の"普遍的価値"とは、極端に言うと、西洋主導の"普遍的価値"と言えるのだ。
これから話す「無形の文化遺産」は、そんな西洋中心の普遍的価値と正面から対立するものであった…!
西洋vs日本の文化的価値観の違い
「無形の文化遺産」は、和食に代表されるように「生きた遺産」とも言われる。実践、表現、知識などのことを指す。(個人的にはヨガが無形の文化遺産であったことに驚いた!)
「無形遺産」の概念は、日本と韓国が提案し、条約ができるまでに日本が中心的な役割を担っている。
というのも、「無形遺産」という概念は日本が世界初に法律で定めた概念であり、西洋やその他の地域には無形遺産という概念すらない、または、軽んじられていた文化の一つだった。
当時、ヨーロッパでは「昔から変わらない『有形のもの』に価値がある」と考えるのが主流だった。対して、日本は「『もの』が継承される『文脈』、または『無形のもの』にも価値がある」という考え方をもっていた。
無形遺産は、西洋の間では、民族的マイノリティ(原住民など)の人たちのものとみなされることが多かった。
かつて、少数民族の文化を「未開」とみなし、西洋文化に同化(消滅)させてきた歴史もあったため、パンドラの箱でもあった。
しかし、日本が粘り強く条約を練り、説得を続け、次第に西洋の限られた"価値観"に不満を持ったアフリカを皮切りに、中東、ヨーロッパの国々からも賛同を得ることとなった。
ちなみにこの条約には、未だにアメリカ・イギリスなどの英語圏の国々は参加していない。
※ EUの国々(フランス、ドイツ、スペインなど)は参加している。
無形遺産の面白い点は "特定国の遺産" でない、広がりを持たせたところだ。
例えば、「地中海料理」は、ギリシャ、イタリア、スペイン、モロッコの連名で認定されている。
「鷹狩り」に至っては、世界各地で見られたため、多くの国が一緒に認定されている。
無形遺産は、欧州主流の遺産の範囲を超え、新たな、人類共通の遺産ができた証なのである。
おわりに
この投稿のテーマは、先日、世界遺産であるケルン大聖堂に行ったときに、思い浮かんだ疑問に端を発している。
600年以上の時をかけてできた建物の歴史、緻密さ・美しさに感動を覚えた....ことには覚えた。
しかし、どれだけケルン大聖堂の価値を学んでも、残念ながら、日本人の私には「体感的」には理解することができなかった。
西洋で育っていない人間と、西洋で育った人間の土台(価値観)の違いから来ているのだろう。
しかし、外国人が富士山を訪れて日本を知ろうとするように、私も世界の遺産を可能な限り見て世界を知りたいと思う。
そして、もし新しい感覚が芽生えた時には、それをまた記事にしてみたいと思う。
おしまい。
参考:
https://www.erudit.org/en/journals/ethno/2014-v36-n1-2-ethno02680/1037612ar/
https://www.jstor.org/stable/40793837
https://en.wikipedia.org/wiki/Intangible_cultural_heritage
https://en.wikipedia.org/wiki/World_Heritage_Site
ttps://www.kyushu-u.ac.jp/oldfiles/magazine/kyudai-koho/No.33/33_07.html
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