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2021/6/13 「上の者」

守るとか幸せにするとか助けるとか、簡単に使わない方がいいだろう。それは決して、言葉にすると安っぽく聞こえるからとかいうものではない。(これは言う、言わないの問題ではなく、どのくらいの思いなしによって出来上がった思いなのか。という部分が重要だと考えられるからだ。思いなし度合いは、そこに費やした時間には必ずしも比例しないのではないだろうか。)

上の立場に上がるにつれてその数は減っていく筈だ。それなのに、少ない上の者が、倍どころではない数の下の者達を「守る」「幸せにする」「助ける」なんて不可能なことを言い過ぎている。自力に希望を抱きすぎている、と言っては言い過ぎだろうか。

それに、上の者がもし倒れた時、残された下の者達はどうしたらいいのだろう。守られていた分、死んでしまうのではないだろうか。また、守ってくれる者を探し出すのか。そしてまた、素奴が死んでしまったら代わりの者を探してってそんなのキリがない。

上の者も下の者も互いに自立しなくてはならないのだと思う。守る守られる、助ける助けられる。雇う雇われる。ダメなのだと思う。

上に立てる者は限られている。輝かなくてはならない。まっすぐに、一番に進み、刺さなくてはならない。心をどこまでも伸ばさなければならないのである。守っている場合ではない。前を向き過ぎるほど、前だけを見ているべきである。

下の者はたくさんいる。輝きたくても無理だった人達だと思う。何かは分からないが、宿命とかそういう、自分にはどうしようもないことがあるのだと思う。だってこんなに思いがあるのに叶わないなんて、努力していても実現しないなんて、こればっかりはもうどうしようもなかったんだって考えるしかないのだから。

であるなら、この命をどうするか。

こうなったらやっぱり、上の者にかけてみたい。自分自身では見られなかった景色を、上に立てる者の身体を借りてなら見られるかもしれない。自分にはなかった希望が、この人にならあるかもしれない。自分のこの命を、彼に託すのだ。自分の命は彼の命であり、彼の命は自分の命だと。懸けるのである。

本当は、下の者達が、たった一人の上の者を守るのだ。

これは、守る守られるの関係性ではない。いっしょに戦っていて、命を共にしているのである。守っているのだとしても、相手がどうこうよりは、自分の命が懸かっているから、そうするのだと考えられる。

これは、どんな関係性よりも魅力的ではないだろうか。互いが互いに自立しているのにそれでいて、孤独ではない。それでいて、希望がある。

自分が一番大事で、それでいい筈なんだ。それがきっと一番いい。それでその命を、どうすることが一番、大事にできることなのか。それを考えることが一番大切だ。


人を生かすことより、自分を生かすことを考えて。るろうに剣心でも、キングダムでも、それ以外でも。こういう体制の、陣営は物凄く強い。



またね👋




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