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マノミコト

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こころのおくのほう。毎日更新。     マルハダカ。
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記事一覧

2021/10/19 「ロッソ・ノービレ」

私は何故、二年半続けていたアルバイトを突然辞めたのか。私はどうして、あの人のことを好きになったのか。それにはその時の、何かしらの理由がある。 しかし、一二年と年月を経て、その時にはなかったまた別の理由が、記憶の底から浮かび上がって来ることもあるようだ。それは何とも不思議な体験で、時を重ねてきたからこそ見られるある種の宝みたいな、パッとは手に入らない格別な貴重さを備えている。また何年後、下手すれば何十年後に。それでも出会えないかもしれないこの味を十分に堪能しておこう。 出会

2021/8/28 「彫り師」

誕生日、好きなもの、好きなこと、嫌いなこと。およそ、友人関係と呼べる間柄の人達ならわかり合っていると推測できることをまったく知らない。授業中だけ成り立つ関係性。 それでも、その人達に救われることがある。励みの言葉を投げ掛けられるより、ずっとホッとする、安心するものだ。ただ名前を聞くだけで、解きほぐされる。先人の名は偉大だ。 しかし、何に救われて、どこを満たしてくれて、なぜ、安心したのか。何もわからない。違う時に同じことが起こったとして、今日と同じような感覚を受けるのか。そ

2021/8/13 「探しているもの」

ずっと何かを探している。まだ見たことのない何かを求めて、歩き続けてきた。何が見たいのか。何がこの目に映れば、私は満足するのだろう。 それは多分「あい」だと思う。多分ではない。必ず、そうなのだ。まだ見たことのない「あい」。私は「あい」が見てみたい。見たことのない。これも嘘だ。見たことは、ある。一度だけ。それももう、5、6年前のこと。それでもまだ、鮮明に思い出されるあの景色。あれだけは、忘れたくない。お年を召したとして、孫ができたとして。その景色だけは語り継ごうと決めている。ど

2021/8/3 「私は」

私は、私が書く文章で、人の心を動かすことができるだろうか。救えなくてもいい、というか、そんなエネルギーを持てるはずがない。でも、心をちょっとだけ動かすくらいなら、と期待をしている。自分のいのちを書き、滲ませることができた時限定だ。 幾度か幾人か、優しい人が言ってくれたことがある。嬉しかった。その時その時で、毎回最初と同じ嬉しさを感じた。だから、浮足立っていると思う。でも、正直、確信がない。自信のなさが原因かもしれない。でも、それだけじゃない。言ってくれた人達のことを信じてい

2021/7/31「蝶」

誠に生きられたことがない。当然と言えば、当然か。誠かどうかなんて結局最後の最後にしかわからないのだから。 「恋に誠も、偽りもない。」と言われていたが、なにも、恋に限ったことではない。現に私がそうなのだ。 どんなに思い焦がれていても、涙ながらに言葉を発したとしても、何かに揺さぶられてしまえば、それは偽りとなる。いっときも誠から離れず生きることなんて可能なのだろうか。 それよりも、私の生はもっとひどいものだ。誠にできたことが一度もなく、生きてきた。誠に生き続けて来られなかっ

2021/7/30 「思うこと」

伝えたいことがある。「思うこと」がこんなにも私の近くに居座るのは、決して私の意志ではなかったということだ。 「思うこと」が私の両肩を抱いて少し後ろに立っている。私の外側にいて、その手を放そうとしてくれない。がっしりとこの身を捕らえ掴んでいる。 けれど嫌な感じはしない。二人で一つ、たまたま目に映る存在が私であっただけ。生きることというか、何かを成し遂げようとすることに熱があるのはむしろ彼の方で。私はただその力に押されているだけ、という感覚だ。 なぜ、この世界の地に足を着け

2021/7/26 「月見る夜」

実はあの前日の晩、私は月を見ていた。いつもは見ない場所に光が真っすぐ差し込んでいて、不思議に思い、月を見たのだ。まん丸で大きくて、月の光にはめずらしく強さを感じた。 満月か、と思っていたのだ。カーテンの隙間から窓を覗いて上を見て。前日の晩は一人だった。 深夜の。自分が放つ音しか聞こえないこの時間に、普段は見られない光を見つけ、興奮していた。薄青い光が白壁に沿うようして屈折し現れるあの空間。身近なところに存在した神秘さの味わいは舌に残ってしまう。 だから、今日が満月だと聞

2021/7/21 「フラット」

この雑誌はカタカナがよく出てくるなと毎回思う。暗闇に光を落とせばすぐ消えて。また落としたと思ったら、またすぐ、暗闇に戻っていく。そう、いうなればホタル。カタカナがホタルのように一つ一つの文章の中に潜んでいて、私は毎回、アッ!アッ!と光の誘いにまんまと乗っかってしまうのだ。 わざとだと思う。多分、距離をとるために。文字が文字としてそこにある。 文章を書いていると、ここぞ!という時に妙な力が入る。伝えたい私からのメッセージに、良い言葉とか美しい言葉を多めに、そして大胆に。「見

2021/7/17 「初心」

思って、感じ取ることが好き。面白い見方、私なりの見方は要らない。相手の本当の一部分に近づけたらそれが一番良い。これ以上の嬉しさはないのである。 「本当」に指先で触れてみたい。掌全体ではなく指先で、皮膚に触れないよう産毛だけにタッチしてみたいのだ。「本当」はきっと青い炎だ。それを守るのが皮膚で、産毛は何だろう。守ることはできないが、体温を保つために外側から柔らかに包み込むのがそれだろうか。 汚い外界の空気に全面が触れ「守る者」や「本当」が腐ってしまわぬよう、無数の仲間と、高

2021/7/12 「鋭さ」

愛が重いほど、その愛は鋭さを増して心に突き刺さってくる。突き刺された一点から涙が溢れ出るのは当然のことだ。相手は泣かせてしまった、傷つけてしまったと思ったかもしれない。でもむしろ、今は物凄く光栄なことで。それくらいの愛を受け取れるのと同時に、吐き出してしまいたいほど膨れ上がった愛を外へと自然に流してくれた。 涙が出るのは、ある沸点に到達した時だと誰かのインタビューで見た。沸点が低すぎるのか、常に沸点に近い位置で留まっているからか。どちらにしたって、とにかく沸点にたどり着く回

2021/6/23 「運命」

この頃、自分の人生、つまり「自分の命を引き受けること」について考えている。如何なる生き方をしていたら、命が運ばれていく人生を引き受けていることになるのか、わからないのである。 遡ること、大体一か月前のこと。「ひとは《その》ように生きる事しかできない。」と、お言葉をいただいた。人生と私と《その》とが、どのくらいの位置関係にあるのか未だ分からないでいる。命が運ばれていくままに生きる事しかできない、ということであるのか。それとも、運ばれていくままの人生、自分の意志による選択だけで

2021/6/21 「なんでもない日」

なんでもない日、なんにもない日、毎日がどれも大切でどれも特別で素敵な日です。なんて言えません。 何にもない日は、ゆったりとしていて楽だなと思えたり、好きな動画を何時間もぶっ通しで観られたりと癒されることもたくさんありますが、その反面。何で生きてるんだろうなとか、これからあと60年もこうやって生きていくのかとか考えてしまう日でもあるのです。 どっちに転ぶのかはその日になってみないと分からないけど。こういう時は素敵な日だとは思えません。疲れてしまうし、しんどいから。 金閣寺

2021/6/14 「感覚と経験と知識、そして共有」

いつの日かドライアイスを触った時の感覚、今日ドライアイスを触った時の感覚、明日ドライアイスを触った時の感覚。これらは完全一致せず、ずれを持って重なっていき、経験となる。 しかし、知識とは何であるか。知識とは、それぞれの感覚がずれながらも経験として重なっていった先に現れる、すべてが重なりえたところの一部分だと考えられる。「若干痛い」「ちょっと痛い」「すっごく痛い」が重なっていった時の、「痛い」に当たる感覚が知識となる筈である。つまり、どの感覚もが持ち合わせていた部分が知識とな

2021/6/13 「上の者」

守るとか幸せにするとか助けるとか、簡単に使わない方がいいだろう。それは決して、言葉にすると安っぽく聞こえるからとかいうものではない。(これは言う、言わないの問題ではなく、どのくらいの思いなしによって出来上がった思いなのか。という部分が重要だと考えられるからだ。思いなし度合いは、そこに費やした時間には必ずしも比例しないのではないだろうか。) 上の立場に上がるにつれてその数は減っていく筈だ。それなのに、少ない上の者が、倍どころではない数の下の者達を「守る」「幸せにする」「助ける