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2021/7/31「蝶」

誠に生きられたことがない。当然と言えば、当然か。誠かどうかなんて結局最後の最後にしかわからないのだから。

「恋に誠も、偽りもない。」と言われていたが、なにも、恋に限ったことではない。現に私がそうなのだ。

どんなに思い焦がれていても、涙ながらに言葉を発したとしても、何かに揺さぶられてしまえば、それは偽りとなる。いっときも誠から離れず生きることなんて可能なのだろうか。

それよりも、私の生はもっとひどいものだ。誠にできたことが一度もなく、生きてきた。誠に生き続けて来られなかった、どころの話ではない。

言えば言うほど、そうならなかった時、大偽りとなってしまう。それでも楽しかったから良かったなんて、言えるとは思えない。これはもちろん、私だけのことで、他の人はどうかわからない。もし、言えていたとするなら、浮世に生きると覚悟したのだと堂々宣言していいと思う。それは、誠だ。

私の弱さは、多分覚悟ができないこと。昨日知った。

覚悟できず、二つの世界にぶら下がっていて、足だけバタバタさせている。

なんて滑稽な姿なんだろう!と自覚した時、思いもよらず見せた爆笑。あの矛盾する身体の反応は、何も持たない人間だけが生み出せるものだと感じた。笑神様はきっとこういう時に降りてくる。すべては突然に、やって来るのだ。

昨日のことを回収する、時が訪れたのだと言おう。不思議なことに、繋がりがどこかに一つ見える時は、とことん見えてくる。最後には、これは一本の糸だったのだと腰を抜かすほど驚く自分を、錯覚してしまうくらいだ。

一度は耳にしたことがあるかもしれない。それでも言い残しておきたい。これは私の言葉である。

宙ぶらりんになって足をバタバタさせていたとしても、それを止め、揃えてあげさえすれば、漕げるのだ。弧を描くようにして前にどころか上にまで、飛べてしまうのである。

はて。イモムシがさなぎになる時、どうなるのか知っている人はいるだろうか。

イモムシはさなぎに変わる時、ほとんどの細胞組織を溶かしてしまうらしい。残る部分は、特定の筋肉や神経システムといったほんの大事な部分だけで、残りはすべてドロドロに溶けてしまうみたいだ。

他の蝶は知らないが、モンシロチョウはその時、糸を出す。落ちないように葉に体を固定するためだそう。

そしてその後準備をして、いずれ蝶となり、空へと飛んでいく。

さっき、私は蝶を想像した。イモムシがさなぎとなり、蝶となり、飛んでいく姿を思い描いたのだ。遊具に、幻影を見た。美しい幻影だと思う。

これは比喩ではない。言葉で感情を表現しているわけではないのだ。思い描いた景色を見て言葉にしているし、これもやっぱり、私が考え出したものではない。それに、笑神様が降りてきて、それからは、信じられないかもしれないけれど、導かれた。洗脳されていると思うなら、そう思ってくれていい。だって私は心の底から話している。的外れも良いとこだ。

夏の夕方は涼しくて、犬の散歩がしやすいみたい。あまりにも気持ちが良くて、伸びをした。久しぶりのことをした。そんなこんなしていると、あっという間に夕日が沈む。暗くなる。人生における青春と同じ短さだ。

今日は、青春を一日に詰め込めたような日であった。







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