見出し画像

2021/8/28 「彫り師」

誕生日、好きなもの、好きなこと、嫌いなこと。およそ、友人関係と呼べる間柄の人達ならわかり合っていると推測できることをまったく知らない。授業中だけ成り立つ関係性。

それでも、その人達に救われることがある。励みの言葉を投げ掛けられるより、ずっとホッとする、安心するものだ。ただ名前を聞くだけで、解きほぐされる。先人の名は偉大だ。

しかし、何に救われて、どこを満たしてくれて、なぜ、安心したのか。何もわからない。違う時に同じことが起こったとして、今日と同じような感覚を受けるのか。そうは思えないし、でも、この時限りのことだとわかっていて、恩を返すとか背負うことがないと知っているから、安心してその名前や言葉を受け取ることができたのかもしれない。

返さなくてもいいこと、返してくれようとしないもの、そういうものにだけ心を許せる。これが「愛」だとするならば、私は疑ってかからなければいけない。最近は特に、こういうものばかりを求めてしまう。

満たしてくれるものはただ一つ。私はその正体を知っている。しかし、それがどうにもこうにも満たしてくれない。その気があるのかどうかさえ見せてくれないから、埋め合わせを試してみるが、どう考えたって上手くいきっこない。ただ余計なものを摂取するばかりで、余分なものが体内に蓄積していくばかりで、後悔の念だけが、私を満たしてくる。

だからどこかを満たしてくれる、なんてないのだ。先人の名前は、満たしてくれたわけではない。持続しない、一瞬の憩いを運んできてくれた。もうすでに憩いの時間は終わっている。

それでも、あの憩いの一時には煌めくものがあった。あのチラチラの輝きを、久しぶりに目にした気がする。そうそう見られるものでもない。光の当たり具合が移り変わって、微妙に輝いていくから煌めきは生まれる。

今回は、目の中心でチラついて光を浴びてくれたから、受け取ることができた。その偶然性に頭を下げたい。心から。この、私からの礼。相手にとっては胸に刻む入れ墨になるみたいだが、これは良い意味なのか、それとも無礼を働いてしまったのか、ものすごく不安なことだ。

それでも、共にしなさい。との意味だと解釈する自分が離れない。だから、そうだと信じて、その責任を感じていたいと思う。「入れ墨」という言葉に、若干の責任を感じたから、離れないのかもしれない。とにかく、責任を背負いたいと思ったのだ。

一つの言葉が、誰かの胸に刻まれること。消えないものとして一生涯付き添うものになる可能性があること。自分の枠ならまだいい。しかし、言葉というのは、他の人のからだに刻み込まれることの方が多い。それをどれだけわかっていたのか。

それを知っても動じない自分が目指すところは、ある意味、彫師なのかもしれないと人生で初めて、思いついた。

「彫ってほしいって、惚れられて受ける仕事」
良い言葉をいただいた。

ちなみに、私が知らぬ間に彫ってしまっていた言葉
「お仕事お疲れ様です。ファイトです。」

同じゼミの卒業生の皆さんは、これを胸に刻むそうです。

またね👋











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?