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2021/8/3 「私は」

私は、私が書く文章で、人の心を動かすことができるだろうか。救えなくてもいい、というか、そんなエネルギーを持てるはずがない。でも、心をちょっとだけ動かすくらいなら、と期待をしている。自分のいのちを書き、滲ませることができた時限定だ。

幾度か幾人か、優しい人が言ってくれたことがある。嬉しかった。その時その時で、毎回最初と同じ嬉しさを感じた。だから、浮足立っていると思う。でも、正直、確信がない。自信のなさが原因かもしれない。でも、それだけじゃない。言ってくれた人達のことを信じていないのだ。大袈裟なことを言っている、優しさから来ている、良いと思う言葉を選んでいる。

本当は、誰のことも信じてなんていないのかもしれない。嬉しさに浸るのは、いっときで。だって、多分、本当なら、刻まれるはずだ。その一言だけで十分満たされる。本当か?わからなくなってしまった。

人数に満たされていないのか。どれも本当、だとも感じる。

でもついさっき、私は、私の書いた文章を送った。書いていた時、「届いてほしい」と願っていたと思う。今まで、私に言葉をくれた人達のことを信じて、「私の言葉は人の心を動かすんだ」って信じたから、送る決意ができた。恥ずかしいことを言っているなと自分でも思う。

でも、相手は。そうでもしないと壊れそうもない壁なんだ。私だけの、しかも思いだけじゃ、上面だけ感じてあとはこちらに跳ね返してきてしまうような、そういう相手。跳ね返されたら、私は返せない。小さく弾んでいって、芝生に無力なボールだけが残るだろう。

そんなボールを見たら、私は書くことを辞めてしまうかもしれない。仕事にしようなんてそんな無謀なこと諦めて、仕事探しの再活動を始めるかもしれない。始められるかもしれない。

壁を壊すことができたら、。私は、その相手の言葉を刻み込んで、全員分の言葉を刻み込んで、また次の人の心を動かしたいと文章を送る。一生涯やり続けていくのだと覚悟を決める。私にできることだと確信が持てる。

踏ん切りを付けたくて、送ったのだ。自分のことを懸けて、書いたのだ。

ここ数日。何かに囚われていたのに、書けたのは、絵を選べたから。エドガー・ドガとメアリー・カサット。この二人の絵を三枚。私は二人について何も知らなかった。けれど、この二人の、関係性を感じ取れたのだ。

一生涯独身で、共に絵を描いた二人。ドガの絵をカサットがたまたま見つけて、出会った二人。目に病を患った二人。

一瞬、この二人の血を受け継いでいるんじゃないかと疑った。

だって二人は、版画雑誌「昼と夜」の制作をしていたというのだ。出版こそ実現しなかったが、。

私は、この二人の、目に見えない関係性を信じたい。
感じ取った自分の眼力を信じたい。
自分自身を信じ、覚悟したいのだ。






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