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2021/8/13 「探しているもの」

ずっと何かを探している。まだ見たことのない何かを求めて、歩き続けてきた。何が見たいのか。何がこの目に映れば、私は満足するのだろう。

それは多分「あい」だと思う。多分ではない。必ず、そうなのだ。まだ見たことのない「あい」。私は「あい」が見てみたい。見たことのない。これも嘘だ。見たことは、ある。一度だけ。それももう、5、6年前のこと。それでもまだ、鮮明に思い出されるあの景色。あれだけは、忘れたくない。お年を召したとして、孫ができたとして。その景色だけは語り継ごうと決めている。どうしても、誰かと受け継いでいかなければならない。

もっともっと近づきたくて。近づきたくて。あわよくば、触れてみたいとも思っている。もう、正直、見ているだけでは不十分なのだ。もう、遠くからみているだけのこんな場所から離れたい。もう十分。これ以上見ていても何も変わらないのだと感じている。これ以上、この場所から見つかるものは何もない。

「高望みだ」と誰かが言うが、本当か。高望みだとは、これっぽっちも思えないのだ。「おおごと」にしているのは私ではない。私を見ている人達である。此処にあるのは大事ではなく、おおごとだ。大事は一体どこにある。

今は私の背後で、土砂降りの雨。これくらいの雪崩打ちを仕掛けていけたらなぁと、ふと離れて思ってみたり。このまま外へ出たら、纏わりつく嫌なものをすべて代わりに受け持って、大地に還ってくれそうだ。

哀愁が漂ってきて敏感にもキャッチしてしまうのは、人間の纏いをすべて受け持ち背負っていく雨だからかもしれない。

次のステージ。もしこの上に足を上げ身を置きに行きたいのなら、すべてを置いていけと言われているみたいだ。抱えて行ってはならない。人生に何度かしか訪れないような機会が、巡り巡って、ついに。私のもとへ来てくれるのではないか。妙な期待をしてしまう。そんなものに深く縋りつきすぎて、自分で内側から作り出したものなのか、それとも外側から来て感じているものなのか、本当にわからなくなっている。DNAの二重螺旋のようになっていて、その間に私が見えて、そこでこの文章を書いている。うずくまり、眠っているみたいだ。眠っているように見せているだけで、本当は起きていて。目を閉じているだけ。そうして時を俟っている。

誰かが呼起してくれて、そのたびに私は何故か涙をながす。涙を一滴、頬に乗せて。その人をじっと見つめる。その時間だけが私にできること。その間だけが私もわかる、私の生きている時間だ。






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