2021/7/26 「月見る夜」
実はあの前日の晩、私は月を見ていた。いつもは見ない場所に光が真っすぐ差し込んでいて、不思議に思い、月を見たのだ。まん丸で大きくて、月の光にはめずらしく強さを感じた。
満月か、と思っていたのだ。カーテンの隙間から窓を覗いて上を見て。前日の晩は一人だった。
深夜の。自分が放つ音しか聞こえないこの時間に、普段は見られない光を見つけ、興奮していた。薄青い光が白壁に沿うようして屈折し現れるあの空間。身近なところに存在した神秘さの味わいは舌に残ってしまう。
だから、今日が満月だと聞いた時、顔にはあまり出ていなかったと思うが、内心同じように興奮していた。あの味を共有できるのかと嬉しかった。
でも、嬉しさはどこかへ行った。私は共有ではなく独り占めすることに、嬉しさではなくおもしろさに、惹かれてしまったのだ。独り占めしたいという欲。言わないでおくというおもしろさ。結局自分の身体に閉じ込めることから離れられない。
一輪に恋をしたのも、このためか。似たものを感じたらしい。
同じ日に同じ場所から送られた同じ一輪の薔薇たちが、それぞれの場所で飾られているところを想像すると。、、、想像できるところが似ている証だと思う。
同じ月光に照らされて、ある花を。
美しいなと思う。ひとめも見ていないけど、想像できる。どこかで見たものよりも美しい。見えていないものが一番美しいなんて、信じられるだろうか。
でも、思うことで同じ絵を見てくれる人がいたら、嬉しい。思うことの奥に現れる絵が、私ではない人の中にも現れたらと、それくらい高度なことを望んでいる。
見えないものをそれぞれの内側で見つめて、同じように美しいと思えたり、見えないものを共有することが、私は欲しいのだ。
朝は眠くて意識が遠のいていた。けれど、他者という言葉はつかみ取る。愛も、儒教も、努力も。逃さなかった。体温も、感じたような気がする。
何が捉えたかというと、それもやっぱり心だと思う。ほとんど夢の中にいた私の一部が、身体に負けなかった。心だけが熱心に聞き続けていたのだ。
目が捉えているものを触れたと思い込むのは、危険だ。それは触れた内に入れられない。ヴェールに遮られてしまっている。私たちはほとんど全部、ちゃんと触れられていない。透明なヴェールを見落とし勘違いしているだけではないだろうか。視覚が邪魔をする世界で、触れることは難しい。
本来、直接見えているのは、本質を隠している姿のはずだ。
だから、私は、すべてのもののヴェールアップを目指してみたい。そこにはどんな世界があるのか、見てみたいのだ。
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