所詮ただのおせっかい

時々、猛烈に自分に自信が持てなくなる時がある。
身体の構造上、生理前にその症状を患うことが多いのだが…そうじゃないタイミングでそうなると、いかにも“ホンモノ”のような気がして、心がザワザワする。

新型コロナウイルスによる自粛生活が、後少しで約2ヶ月になろうとしている。私は職種柄、自宅でする仕事はほとんどないので、普段出来ない自炊やらトレーニングやら、部屋の片付けやらをしながら毎日を消費している。

意味をなさない時間が増えるということは、余計なことを考えてしまう時間も増える可能性が非常に高い。昨晩は、正にそんな夜だった。

昔から、友達は決して多い方ではなかった。友達なんて多ければいいというモノじゃないし、昔から狭く深くタイプなのでまぁ別にそんなもんだし、それでいいだろという気持ちで今まで生きてきた。今も仲良くしてくれている友達には本当に感謝している。でも中には、色んなトラブルで疎遠になってしまった人もいる。

こんなこと正直気にしないでおけばいいと言えばいいのだが、その所謂疎遠になってしまった“元”友達のことを不意に思い出すことがあるのだ。これが本当に厄介で、一人の時は涙が止まらなくなってしまう。

私は決してネガティブな方ではないと思う。どちらかといえば明るい方だし、人への接し方に特別問題がある方でもないと信じている。(自覚がないだけなのかもしれないが)ただ、良くも悪くも“大雑把”なところがあるので、知らぬ間に誰かの思いを踏みにじっているのだろうなぁ、とも思う。

もちろん価値観の違いと言えばそれまでだし、お互いが無理をしてまで付き合いを続ける必要などない。過去のコミュニティの人間ならそれこそ、簡単なものだとSNSの繋がりを切ってしまえば、相手のことを知るタイミングなどない。その先の人生に交わることなどほとんどないに等しい。

けど、それが無性に寂しくなる時がある。「あの時に何かしてあげられていたら、今も仲良く出来ていたのだろうか」という考えが止まらなくなる時がある。そもそもこの“してあげる”という気持ち自体が、相手からするとクソムカつくんだろうな。笑

人は常に変化していくものだ。置かれた環境や行動に応じて、価値観が変わりゆくものだと思う。そうなると多少人間関係に変化が出るのも、まぁ分からないでもないのかもしれない。

常にアップデートされていく“最新の自分”を肯定してくれる人達こそ、長い人生の上で大事にしていくべき存在なのだと思う。

だけど時々、過去の友達を裏切った(そんなつもりはさらさらないのだけれど)自分を、痛めつけるというかどうしても肯定出来ない自分も出てくる。

これは暇だから考えてしまうのだろうか。それとも、普段奥底に眠っている思いがふとした瞬間に吹き出てきてしまうのだろうか。恐らく後者であることは言うまでもない。

でもきっと、その人たちはその人たちの人生を今も歩み続けているし、その人たちの生きたいように生きていることは間違いないから、これからも幸せに生きていてほしいなぁ…と思うのはやはりエゴか。

こんなことをモヤモヤ考えてしまうから、自粛生活はダメだ。早く外に出たい。…という雑な終わらせ方で〆て今日も前を向こう。