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【書評阿呆】No.2『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)

 理想論は、理想であるだけに大切なものが込められているのだと思った、そんな微満員電車の中である。自分の失ったもの、いや、草臥れた万人の無意識の紛失物は、どうやったて返ってこないわけだけれども、どうしようもない。ただ、やれやれ、なんて格好つけて、干からびた微笑をすることくらいしか、私たちにできることはない。そうでもしないと悲しいものだし。やんぬるかな。

本データ
書名 星の王子さま(原題 Le Petit Princ)
訳者 河野万里子
著者 サン=デグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry)
価格 528YEN(新品)
発行 新潮社
シリーズ 新潮文庫

 この作品は、時が経てば経つほど、人の心を揺さぶるのだと思っている。通常、時が経てば古くなるのが道理だが、これは、違うと思った。不朽の名作、とよく人は言うが、これはむしろ、永進の名作というか、不止の名作というか、経年劣化をせぬどころか、日々磨かれ行くだろう。それは、おそらく、人類が迎えている、現に歩を進めている、物質的及び技術的充足の日々と比例して。人々が、目にみえるものがいちばん大切、と思い違いをする程に。

 現代は、正論と効率の時代である、と私は思っている。正論にしても効率にしても、悪い奴でないことは確かなのだが、中々堅物なところがある。勿論、私は、10秒でできることを1時間かけてエイエイ生真面目に行い、汗を滴ながら、「勤゛労゛の゛喜゛ひ゛!」なんてやることを肯定しているわけではない。それでは、安吾に怒られるし。

 しかし、そういうことに捕らわれない、生活ウィズ健康的な心、の毎日を送りたいと思うことがある。だが、そんなのは人間が許さない。(別に私が爬虫類であって、蜥蜴の身分でありながら人間向けの文章を書いているとか、もしくは、哺乳類であっても犬だ、とかそういうことではない)一体人間とは、誰か。私が思うにそれは、自分であり、その集合体の社会であろう。つまり、私たちが王子さまの如き振る舞いをして生きるのは、他人が許さなければ、自分も許さない。それは、社会という人間の共同体の持続を考えれば、当然なのだ。この本を読み、感極まり、その涙の激流が観光地になり、悲哀の内に大富豪、なんてことになっても時既に遅し。そして、その「時遅し」の状態こそ、人間のもつ一種のアドヴァンテージなのである。私たちが、王子さまになるには、社会的な去勢しか残されていないのではないか。

 それでも、去勢されようとも、王子さまになりたいと私は思った。実際、そうなれば、私は社会の余白だ。ただ、私たちの慎ましき小市民の生活において、幾万、幾億の星々から王子さまを探し、いちばん大切なものを、ポケットにしまおうと生きるのは、いい。この本は、全ての「大人」の微睡む瞳を開けてくれる。