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【書評阿呆】No.3 『岬』(中上健次)

 何か負い目をもつ人間の、その底流に由来する姿みたいなものを描くのは、常人には出来りゃしない。それは、暖房全快で恵方巻をしゃぶり、挙げ句の果てには残飯多し、なんて人々が、アフリカの陽光に刺され、腹と背中を一緒にしている人々の本心など、どうやったって分からないのと同じだ。もし、本気で、描こうとするなら、どうしたって、狂わねばならない。

本データ
書名 岬
著者 中上健次
価格 110YEN(BookOff 新品500YEN)
発行 文藝春秋
シリーズ 文春文庫
収録
・黄金比の朝 ○
・火宅 ○
・浄徳寺ツアー
・岬 ○

 戦後生まれ初の芥川賞作家、つまるところ、当時の文壇における新世代を牽引した人物が、この中上健次だ。肉体労働に従事した経験や、部落出身の血筋など、自身の境遇が文学上で大きなテーマとなっている。芥川賞受賞作『岬』を筆頭するこの短編集では、その色合いも顕著であり、現役作家でいうところの、西村賢太『苦役列車』、田中慎弥『共喰い』とも通じる部分があると思う。

 やはり、前述に述べたようなことから、『黄金比の朝』における水商売の女や、『火宅』『岬』における自身の血に葛藤する主人公と、その元凶である、暴力性溢れる亡き父親、ここら辺の人物像は読み手自身の血に鳥肌をたてる。つまり、事実がどうかは知らぬにも関わらず、リアリティを感じさせるのだ。

『火宅』と『共喰い』
 個人的には、特に、田中慎弥による芥川賞受賞作『共喰い』と、本短編集収録の『火宅』には、通じるところがあると思った。それは、前にも書いた通りだ。勿論、これは悪い意味を含んでいない。(今は、変な勘違いをする人が多い、読解力欠如の時代であるような気がするから、こんな愚にもつかぬことを言う)

 そもそも、血筋の自己における存在感、影響といったことは、文学のテーマ(即ち、人生のテーマ)として、主要なものの一つとして数えられるものだろう。現実に、目を向けてみる。例えば、父親が何処其処の名門大学を出て、非常に学問に厳しい故に、反発し、アウトロー、とか。勿論、逆だってある。

 その血筋の存在感が、自分の中で、いかに重大なものとして捉えられるか、そして、それにどのように、意識的にしろ、そうでないにしろ、囚われるか。最後には、どのような帰結をもってして、その血と決着をつけるのか。前述二作においては、それが、父親のもつ暴力性というところにある。(『火宅』においては、放火を働く殆ど犯罪者の父。『共喰い』においては、性行為の際、相手に暴力を振るう父。)そんな父であれば、どうしたって子供は血の束縛から逃れられないだろう。そして、最後、どう決着をつけるか、これはやんごとなき、歪な形状の難題である。

是非とも、二作を読み、確かめてほしい。