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#エッセイ
クイズ!コミュニケーション
会話にはクイズのような側面があると思う。
話しかけた人が出題者、それに応じる人が解答者だ。
就活をしていると知らない学生と話す機会が急増し、その分多くのクイズを解いていくことになる。
議題が設定されているグループディスカッションなどならまだやりやすいが、いちばん高難度なのは休憩時間である。
何の話をしたらいいのかわからないのに、何か話さなければいけない。
あるインターンシップでは昼休憩の時
カイワトギレフォビア
会話が途切れることを過剰に恐れてしまう。
会話は終わっているはずなのだが、なぜか次を待っているようなあの変な沈黙がなぜか耐えられない。
沈黙が続くにつれて次第に心臓がプレスされて行く感覚になる。
例えば初対面の人と天気の話をしたとして、「最近寒いね〜」と言われたら、僕は「ハイ」としか返せない。だって寒いこと以上の事実などないから。
しかしそんな返しをしたら会話は絶対途切れる。
側から見れ
無駄無駄クエスチョン
会話に効率を求めてしまうときがある。
会話を卓球やテニスに例えるなら、無駄なターンを1ターンでも減らしたいと思ってしまうのだ。
こんなことを言ったら誰も話しかけてこなくなりそうだが、誰しもが「今の会話する意味あったか?」と感じた経験があるだろう。
僕はその「無駄なターン」の多くは、「無駄な質問」によって生まれていると思う。
例えば、「質問を質問で返す」という行為。
この行為が生まれるとき